「植物が奏でる音楽」を聴けるデヴァイスは、わたしたちに自然との深い“つながり”をもたらすか
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注目のコメント
レイチェルカーソンの「沈黙の春」を思い出しました。
植物の声無き声を人工的に曝すことが良いのか、それともマインドフルネスのような一応禅的アプローチで勧奨するよう人間のセンスを磨くテクノロジーを提供すべきなのか分かりませんが、人同士がディスコミニケイトになりつつある現在、アクターネットワーク理論や新実在論、ペギオ幸夫の「天然知能」ようなモノに対する感度を上げる試みは気になります。
そして感知するセンシングには、それに意味や物語を与えようとする感知側の傲慢さがセットになりがちなので、先ずは在るかどうか分からない現実を拡張したりせずに、そのままの「声」を聴く機会をもっと増やそうと思う。特に歳を取ると若い時とは別に意味を当てはめてしまうので。