【長友佑都】「成功は約束されなくとも成長は約束されている」

2019/11/1
「自信」の種類が変わったのだろうと思う。

長友佑都は変わった。FC東京に在籍した20代前半の頃も今も、話の節々に「自信」を感じていた。そこは変わらない。もちろん姿も格好も変わらない。相変わらずいい笑顔で笑う。

でも、やはり根本的な何かが変わった。

「ヒーローになりたいと思っている」

長友佑都は真剣にそう言った。
歳を重ねてなお、成長を続ける長友佑都の「ヒーロー思考」とは何か。
1年の連載を通してその言葉から知ってもらいたい。
長友佑都:1986年9月12日生まれ。愛媛県出身。東福岡高校から明治大学に進学。2008年にFC東京に加入すると五輪代表、A代表に選出され活躍。南アフリカワールドカップ後にセリエAチェゼーナにレンタル移籍。半年後には名門インテルへ。サイドバックとして攻守にわたって貢献し、また副キャプテンの重責を担うなどチームに欠かせない存在となった。2018年トルコリーグ・ガラタサライへ。2季連続優勝に貢献。日本代表としても3大会連続でスタメンフル出場を果たしている唯一の日本人選手となった。

シーンとストーリーで自分を見る

「サッカー選手がビジネスをやる必要はあるの?」
僕がクオーレという会社を立ち上げているからか、そうやってインタビュアーに言われた。で、逆に聞きたかった。
「デメリットがどこにあるの?」
聞きたい気持ちはよくわかっていた。サッカー選手はサッカーだけに集中しろ、現役でいるうちが華だ、引退後でもできる……想像するだけでキリがないから、ここら辺でやめておくけど、いずれも納得がいく。
でも僕の感覚とは大きく違っている。
僕はサッカー選手の幅を増やしたくて、ビジネスを立ち上げた。他の現役選手がどう考えているのかはわからないけど、少なくとも僕にとってビジネスの立ち上げはアスリートとしての成長を願ってのものだった。その軸がブレていないからデメリットが思い浮かばなかったし、実際にやってみてもメリットしか感じていない。
ガラタサライに来て、試合に出られないある選手がこんなことを言ってきたことがある。
「俺は試合に出られていないけど、これだけの給料をもらっているから別にいいんだ」
かなりの給料をもらっている選手だ。そこで僕は彼に伝えた。
「それは違う。試合に出られない今はもちろん辛いだろうけど、給料はクラブがそれだけ君を評価したということだよ。それに応えられるように頑張ろう。見返そう」
昔の僕だったらこんな言葉は出てこなかった。
いいか悪いかは別として、ビジネスをすることによって経営者がどう考えてプレイヤーを見ているのか、どう振る舞って欲しいのか、ということが想像しやすくなった。
「サッカー選手・長友佑都」を考えたときに、新しいことに挑戦する姿勢はとても重要だ。
21歳で飛び込んだプロの世界。以来、常に止まらないでアクションを起こし続けた。今思えば、あんなことよくやったな、と思うこともある。ただ、やったことの一つ一つが、それが成功であろうと失敗であろうと、「サッカー選手・長友佑都」を成長させたことだけは確かだ。
どんなアクションにも成功は約束されていないけど、成長は約束されている。
と、こんな風にはっきりと自分の過去を捉えられるようになったのは、ここ数年のことである。具体的に言えば、トルコに来たあたりからだ。
ガラタサライに来て、また結婚も影響したのだと思うけど、ともかくこの辺りから「こういうことをしたから、ああなったんだ」ということがわかるようになった。
パズルのピースがはまっていく感覚だ。
これまでは過去に経験したこと、アクションしたことについて、その「ピースの形」はわかっても「全体の中のどんなシーンを表すか」は見えていなかった
その全体がはっきりと見えるようになってきた。僕は今、自分を主人公としたパズルを作っているのだ。
全てのピースが埋まるとき、そこに描かれるのは「ヒーロー」として躍動する「長友佑都」だ。
僕は、未来に描いたその「ヒーロー像」に向かって、今現在を含めた過程を「ストーリー」として捉え、局面、局面を「シーン」としてみている。
冒頭に聞かれた「ビジネスへの挑戦」も「シーン」でしかない。だから、批判をされようとも、「ヒーロー」になるために進んでいく「ストーリー」にとってものすごく大事な要素なのだ。
パズルの完成はまだまだ先である。

年齢を重ねて僕は成長している

先日行われたカタールワールドカップアジア2次予選、モンゴル戦で決めたゴールは、僕にとって(代表)10年ぶりのものだったらしい。どうりでゴールした後のリアクションに困ったわけだ。代表戦のゴールの味をすっかり忘れていた。
知らない間にずいぶんと環境が変わった。
クラブが変わった、プレーする国が変わった、とかそういう話ではない。周りにいる選手や知人、チームメイトの多くが若くなり、長く一緒にやってきた面々はベテランとなった。
つまり歳をとったわけだ。
33歳である僕はプロサッカー選手としては決して若くない。同年代では引退をしている友人もいる。そのくらいの年齢である。
思えば2018年ロシアワールドカップは「おっさんジャパン」と揶揄された。監督の交代劇、直前の親善試合の敗戦に加え、ワールドカップに臨む歴代日本代表において平均年齢がもっとも高い(28.3歳)メンバーだったことが理由で、悲観的にそう表現されたのだ。
結果的に僕たちは2大会ぶりにベスト16へと進出した。「おっさんジャパン」はそれなりに胸を張れる戦いをしたわけだ。
それにしても、と思う。
おっさんはそんなに悪いものだろうか。そんなに勝つ可能性が低くなってしまうのだろうか。成長できないのだろうか。
サッカー界ではベテランになると「パフォーマンスが落ちる」と言うイメージを持たれる。これはサッカー界だけに止まらない、アスリート全体に当てはまるといってもいい。現象として現れたに過ぎないパフォーマンスに対して「ベテラン」「体力の低下」と言う文脈をもとに語られることが圧倒的に増える。
それは本当なのだろうか。
科学的に見れば、筋肉やホルモンといった運動に必要な要素は10代後半から急激に上昇し、20代前半でピークを迎え、歳を重ねるにつれて落ちていくと言われる。つまり、「おっさん」のフィジカル能力が減退することは確かなわけだ。
例えば20代の前半の頃、僕は「この試合が終わって、倒れ込んでもいい」「目の前の相手に対して死に物狂いでやる」くらいの感覚で、ピッチ上を走り回っていた。そのがむしゃらに走っていく姿勢が代名詞のように言われこともあったし、自分もそのつもりでやっていた。
もちろん今でもその気持ちはまったく変わらない。この試合で終わってもいい、というくらい覚悟を持ってピッチに立ち、目の前の相手に挑んでいる。
でも、だからと言って若い頃のように「がむしゃらに走る」ことはしない。これは、年齢によって変わったものだ。
決して走れないわけではない。今でも「走れ」と言われれば走れる自信はある。当時と変わらないスピードで、スプリントを行えるだろう。
ただ、そこまで追い込むとプレーの質が落ちる。これが、昔と違うところだ。
若い頃との端的な差は「リカバリー能力」にある。試合後の疲労が取れないといったわかりやすい一面だけではなく、試合中の脈にもそれは表れる。スプリントを繰り返すことに疲労を感じるようになる。筋肉や脈が平常時に戻る速度が遅くなる。
そうすると、ボールを受けたときや、1対1の局面など、本当にパワーを発揮する必要がある瞬間のプレーの質が下がるのだ。
頭ではできると思っていても、体がそうじゃなくなる。これが年齢を経て指摘される「パフォーマンスの低下」の一因だろう。
でもそれは成長が止まったことなのだろうか。
むしろ僕は、「歳を経ればパフォーマンスが落ちる」と言うその思考、文脈こそが選手の成長を止めてはいないか、と思う。「体力の衰え」は成長と関係しているだろうけど、その全てではない。
事実、歳を重ねたことによって得た成長はたくさんある。
僕自身の感覚として、体のキレや、一つ一つのプレーは過去に比べてもまったく変わっていない。正直にいえば、経験から「いらないもの」が省かれ、洗練され、よくなっていると感じるくらいだ。
加えてメンタルの成長は計り知れない。

「ヒーロー思考」が前進させる

メンタルの成長こそ、「ヒーロー思考」だ。
自分の人生の行くべき場所に壮大な「ヒーロー像」を描いていく。そこに向かって、なすべきことをやっていく。
成功も失敗も、ヒーローになるまでのストーリーの中の出来事である。失敗のないヒーローには誰も心を揺さぶられない。
クリスティアーノ・ロナウドやメッシのような天才的なヒーローにも憧れるけど、そうじゃないヒーローがいたっていい。彼らより、人に思いを伝えることができるヒーローになれる局面だってあるかもしれない。
決して先天的な才能を持った人間だけがヒーローになるわけじゃない。彼らにあって、僕らにないものはたくさんあるけど、僕らにあって彼らにないものも、あるはずだ。
そこを伸ばしていくことで成長はできる。戦い、ヒーローになることはできる。
先に、歳を経ることで「パフォーマンスが落ちる」という話をした。試合中の脈や筋肉の状態など「自分の体に敏感」になれたことは、僕にとって一つのストロングポイントとなっている。
アスリートであれば誰であっても、自分の体と向き合っていると思う。中でも僕は、才能でやってきた人間ではなかったから、とにかくフィジカルコンディションで勝負する必要があった。コンディションで上回って、いかに屈強で才能溢れる選手を倒すか。それに腐心してきたわけだ。
だから、年齢を経ても成長を可能にする「体に対する敏感さ」を手に入れられたのだと思う。昔は「自分にはなんて才能がないのだ」と悔しい思いもした。「天才には勝てないのか?」と少しだけど自分を疑いかけたこともある。
でも、過去のストーリーは、こうして今につながっている。彼らにはないものを僕は持っている
僕の何が変わったかと言えば、こうしたパズルを見る視点だと思う。
これまでシーンとしてしか捉えることのできなかったパズルを、全体を俯瞰して見ることができるようになった。そして、そこに自分のヒーロー像を描くことで、シーンに意味をもたせることができるようになっている。
よく言うことだけど、僕は才能は作れる、と思っている。
そのためにもヒーロー像を描くことはとても大事だ。
これから具体的にその思いについて話していきたい。みんなも、ヒーロー像を僕と描いてみないだろうか。
【次回11月20日に続く】
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(構成:黒田俊、デザイン:九喜洋介、松嶋こよみ、写真:アフロ)