うつ病の人々は悲観的なのではなく「世界を正しく認識している」のかもしれない
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「悲観」というのも何に対してか、という部分は様々です。
自身か、環境か、人間関係か、それらを包含した未来か。
例えば企業のQC部門というのは悲観的であることに重要性があります。
組織だと納得できて、個人だと「悲観的なヤツ」と言われるケースがありますが、この場合の個人は「現状を正しく認識している」のかも知れません。
ある時代に「障害」と呼ばれている症状は、次代の人間のあるべき姿なのかもしれないなあ、と思うことはあります。最近ちょうどそんな気がし出していたんですよ。
過去に私は何かと物事を過剰に悪く捉え、一人で塞ぎ込んで無気力になったり他者に攻撃的になって失礼な言動を取ったりしました。それを直したくて心療内科行い、メンタルヘルス関連の本を読み、自省を繰り返して何とか「正しく」前向きに現実を捉えられるようになろうとしてきました。
でもどれも上手くいかなくて、そんな期間が5年も6年も続きました。けれども最近になって「そもそも最初のネガティブな思考こそ現実に近くて何とか思い込もうとしている自信とかポジティブな解釈の方は無理があるんじゃないか」と思い始めました。
要は「自分が過去にとんでもないネガティブ思考をして塞ぎ込んだのは事実誤認によるものでなくむしろ現実を知ったということであり、気楽に幸せに生きたければ真実を知ろうとするより幸せな勘違いをした方がいい。」と。
それが思い過ごしでなく本当にそうなのかもしれないと知れたのは、自分の中の世界がひっくり返る話かもしれません。まぁ確かにそういう部分はあるかもしれません。
望まずとも非常な現実の波に何度も揉まれれば、段々と感情はマヒしていきますし。
ただ自分を取り巻く現実を良くしていくのは心のために大切だと感じますし、現実の「良い部分のみを見る」という鈍感さもまた、健全な生き方を送るためには役に立つと考えます。