いま、求められている新しい教育 現場で起きている「革命」を追う
コメント
注目のコメント
自分を押し殺す空気を読む事と、相手の立場に立って空気を読むことってなんとなく違う気がしてる。
でも、大半の人が前者になり、そして、空気を読まない。
つまり自分らしく生きている人を潰そうとする。
当時の僕は感覚的に許せなくて、小、中学生の時はとにかく先生に反抗した。
自分の興味に従って行動すると全否定され、そして先生の言う事を聞いている"優秀"の生徒達は、僕みたいな存在を確実に潰そうとしてくる。
義務教育ほど生きづらさを感じた時期はなかったなあ。「私は、これまで15年以上にわたり、編集・ライターとして乳幼児の子育てや教育をテーマに雑誌や書籍、web、テレビ番組などさまざまなメディアの制作に携わってきた。多くの教育現場に足を運び、子育て中の保護者たちのリアルな声、保育士や教員の声を数多く聞く機会を得た。妊娠期からの切れ目のない支援として注目されているネウボラや、母子の健康をサポートする日本各地の保健師の取材も行なっている。
現在は、東京都下のある自治体の「子ども・子育て会議」に市民委員として参加し、教育委員会では家庭教育支援のためのワークシートを幼児から中学生の保護者に向けて作成している。2017年には保育士の資格を取得。いまも月に数回は子育て相談の現場で多くの保護者の悩みに耳を傾けている。」
→こういうコメントは教育問題では全くいらない。むしろリアルさを失う。
最後まで読んだが、特に目新しいことはなし。
「で?取材の結果“あなた”には何ができるの?」しか残らない。
自分が主語でない文は、結局この人は何がしたいのかがわからない。
自分はまず何ができるのかをはっきりと語って欲しい。
教育の場に教育評論家はいらない。日本人は持ち前の閉鎖的性癖もあって、"過度な相対的視点"(他人と比べてしまう視点)を断ち切れない人が多いように思います。他人と比べて焦ったりイラだったりするのは、「自分だけ(自分の家庭だけ)の幸せ」を考えるのが苦手な人が多いからじゃないでしょうか。
そもそも"相対的貧困率"という言葉自体、好きじゃありません。金持ちと非金持ちを分けるのは勝手ですが、リアルな私たちの生活においてはまったく無意味(むしろ邪魔)な概念だと思います。
稀に、"うちはうち"を意地を張るでも理想を見てるだけでもなく自分の子どもにナチュラルに浸透させてる親御さんがいますが、本当に尊敬します。