ノーベル平和賞候補の環境少女とプーチン氏の応酬が話題
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注目のコメント
2009年10月、能力や手腕が未知数であるオバマ前米大統領がノーベル賞を取った事案と同じ構造。その後、劉暁波氏に贈られたことも記憶に新しい。
ともに、
「アメリカさん、実力だけじゃなく理念も世界一なんですから、それに釣り合うだけの政治を行ってくださいね」
「中華人民共和国さん、世界の大国を自称するならそれに見合うだけの人権問題の改善も必要でっせ」
という形だろうか。
ポスト冷戦期のグローバル社会では、科学技術の発展と民族のサラダボウル化による「複雑性」によって、真に実効性と即効性のある手段が「理念に賭ける」しか残されていないということがよくわかる。
今回のClimate Changeに対する取り組みも同じ。危機に対する実効性を持った施策が判明されていないし、南北問題等による諸国の足並みが揃わない事案もある。
「ただ単にペットボトルを使わないだけで」「単にデモ活動をしたからといって」解決する問題でもない。
「理念と現実の落差」が明確になってきている。何かの権威が後ろにいないと正統性を保てない世の中になるのだろうか。正義や正しいとは人それぞれに差があるモノであり人によって違うのは事実であり否定されるべきではないかと。
声があげることは良いことだと個人的には思いますが、この流れは好きではないかなぁ。どーせ40億年くらいで銀河を脱出出来ないと、人類滅亡ガチなんで、3億、30億人を犠牲にしてでも宇宙分野に投資、開発するしかあるめーよ。そこのビジョンの中で、どーしても必要であれば議論すれば良いけど、ケッコー時間ないから無理でしょ