【清宮克幸】アイルランドに勝利する準備はできていた
2019/10/1
戦前にあった勝てるという「肌感覚」
「『アイルランドにも勝てる、(グループリーグ)全勝だってできますよ』。そう言ったのは代表に帯同する面々でした。僕も確信に近い思いがあった」
日本ラグビー協会の副会長室。6月にその座に就いた清宮克幸は、ゆっくりとそしてはっきりとそう口にした。
事実、この数カ月のあいだ、清宮は「ベスト8は達成できる」とメディアの前でも話し続けている。
「いつぐらいからですかね……、たぶんこの2カ月くらい。代表の近くにいる仲間たちの言葉がものすごくポジティブなものになっていた。本気で、勝てる、いける、と。
根拠は近くにいるからこそわかる『肌感覚』だけなんですが……。ベスト8を達成できると言った僕の言葉も、そうした感覚をして発せられたものだったと思いますね」
静岡・エコパスタジアムで世界をあっと言わせる「番狂わせ」(Upset)をみせたラグビー日本代表。
その相手、アイルランドは格上と見られていた。
世界ランキング2位(試合当日時点)の強豪で、前回(2015年)のラグビーワールドカップ2015以来、テストマッチでも圧倒的な強さを見せてきた。
特にティア1(ティアは階級。ニュージーランドほか世界の強豪10カ国・地域)の相手に対し、27勝11敗1分けと大きく勝ち越し、シュミットHCが就任した2013年以降は、ワールドカップ連覇中の「オールブラックス」(ニュージーランド代表)を2度撃破している。
日本代表との対戦をとっても7戦全勝(キャップ対象外の国際試合を除く)。そのうち6試合で20ポイント以上の差をつけている。
日本代表が所属するプールAで最強のチームであり、ワールドカップ優勝候補にも数えられていた。
そんな相手に、戦前から「勝てる肌感覚」があった。清宮はそう言った。
決して、相手を見下しているわけではない。過去の成績をすっかりと忘れているわけでもない。強い相手に勝てるだけの条件が揃っていた、清宮はそう感じていたわけだ。
「とにかく選手たちのコンディションが良かった。良すぎて怖いくらい。試合をするたびに、良すぎるがゆえにけが人が出るんじゃないかと心配していたほど。
調子が良いときほど、トラブルって起こるじゃないですか。早くワールドカップが来た方がいい、そんな感覚があった」
そして、その肌感覚は現実のものとなった。
なぜか。そこで清宮が指摘したのが、日本代表HCであるジェイミー・ジョセフの選んだ「ルートの確かさ」だった。
「試合をしない」という選択
アジア初となるラグビーワールドカップの開催。日本ラグビー界はこの日々にすべてをかけていた。国内リーグの日程を変え、時間も予算も人も割いた。
代表強化に関しても、「たぶん世界でももっとも長い時間、代表で稼働したんじゃないか」と振り返るほど、徹底した戦力アップに努めた。
2016年から参加した国際リーグであるスーパーラグビーもそのひとつだ。日本代表候補メンバーで編成するチーム「サンウルブズ」をつくり、ニュージーランド、オーストラリア、南アフリカ、アルゼンチンといった世界の強豪国のクラブと戦う機会を作った。
すべてはこの自国開催のワールドカップで結果を出すため――。
しかし、ジェイミー・ジョセフHCは、サンウルブズに日本代表候補となる主力メンバーを出さない――「試合に出ない」という方針に舵を切る。清宮はこれが「ジェイミーの選んだルート」だと言った。
「試合経験を積まずに準備する。理由はふたつ。シンプルです。
ひとつは、『試合をしていないからこそ、できるところまで追い込みたい』ということ。
もうひとつは『負ける癖をつけたくない』」
サンウルブズに選手を派遣しないことには、必ずしもポジティブな意見ばかりではなかった。むしろ批判が大きかったと言える。
「なぜ、ラグビー界全体でこのワールドカップのためにすべてを犠牲にしてやっているのに、その強化になるはずのサンウルブズに選手を派遣しないのか、という声もあった。
僕自身もそれを尋ねたことがある。せっかく世界のトップレベルの環境でやれる場所があるのに、なぜだ、と」
そのときの答えが、「試合をしていなからこそ、できるところまで追い込む」こと、そして「負け癖をつけない」ことだった。
SRで見せたジェイミーHCの深謀
「なるほどそういうことか、と納得できましたね。
試合があるとどうしても試合に向けたコンディショニングをしなければいけない。怪我のリスクもあるから追い込むことができないわけです。だから、試合をせずに準備をしたかったんだ、と。
これは他の世界の強豪国でもやっていないことですから、ありだな、と思った。
負け癖にしてもそう。当然、負けを前提にして試合をしているわけではない。でも、やっぱりスーパーラグビーではなかなか勝てない(編集部注:4年で8勝53敗1分け)。
ニュージーランドやオーストラリアのクラブとやるわけですから。『勝てない経験』を多くしたくない」
結果的に「試合をしないこと」で日本代表は追い込むところまで追い込み、準備をすることができた。最高のコンディションでワールドカップに臨むことができた。
そしてアイルランドに対しては、「試合をしないこと」がプラスαの効果を生んだ。
「アイルランドというチームがこの数年間で出している傑出したパフォーマンスというのは、準備にこそ秘訣があった。
例えば、『オールブラックスに勝つにはこうしなきゃいけない』という『こう』が見えると、ものすごい強さを発揮するわけです。でも、日本代表に対して、彼らが『こう』というものを持っているようには見えなかった。
つまり、どう戦えばいいのか、という情報を持っていなかったんだと思う。
これはスーパーラグビーで日本代表があまり多くを見せなかったことが要因となったかもしれない」
清宮は、「アイルランドがしっかり準備して戦えば10回中7、8回はアイルランドが勝つだろうし、セクストンが出ていればどうなっていたか分からない」と言いながら、続けた。
「試合を観た限りで言えば、彼らが日本代表に準備していたことは、左ウィングのポジショニングが良くないからそこにキックを蹴るということ。
あとは、タックルした選手がボールキャリアを離さないで捕まえておくということ。それくらいかな…….」
準備ができた日本ラグビーと、準備が「できなかった」アイルランド。
歴史的な瞬間を演出したのは、この大会にかけて積み上げた「日本ラグビー」の時間と想いだ。
もちろん、まだ「ベスト8」への道は険しい。前回大会はボーナスポイントを積み上げられず、3勝1敗ながら、グループリーグ敗退を喫している。
それだけではない。
日本ラグビー界は、ワールドカップ以降も続いていくのだ。清宮は、そこにひとつの危機感を抱き、副会長という重責を受け入れた。
――今回の結果は、「番狂わせ」(Upset)ではなく必然の結果か?
そう尋ねたとき、清宮は少し間を置いて言った。
「いや、やっぱりベストなパフォーマンスが出てこそ実現したことなんじゃないですかね」
その表情には、強豪国と互角に渡り合う未来、――本当の意味で「番狂わせ」(Upset)と言わせない未来を、描いているように見えた。
SportsPicksでは、未来のラグビー界を作る「ラグビープロ化」に向けた清宮克幸氏のプロジェクトを連載でお伝えしていく。
(執筆:黒田俊、撮影:具嶋友紀、デザイン:九喜洋介、バナー写真:Matt Roberts - World Rugby/Gettyimages)