職場と家庭の役割を切り替える
家から職場に通う世界中の労働者は、平均で片道38分を移動に費やしている──通勤は仕事が始まる前に片付けなければならない不快な雑用といったところだ。実際、通勤時間が長くなると、仕事の満足度が低下し、従業員の離職率が増える。
だが最近の研究で、ちょっとした心構えで通勤の苦痛が和らぐことがわかった。そのために必要なのは、職場に向かう間に仕事のことを考えることだ。その日の計画を心のなかで思い描けばいい。
通勤時間に関する研究の報告書「家と仕事の間で──役割移行の機会としての通勤」によれば、頭を仕事モードに切り替える機会として通勤を活用することで、家庭での役割から職場での役割への精神的な移行が楽になり、最終的に仕事の満足感が高まるという。
一方、車を運転しながら音楽を聴く、電車の中でソーシャルメディアをスクロールする、などオフィスに向かう途中で、リラックスするため、あるいは純粋に楽しむための行為に没頭すると、仕事モードにスムーズに移行する能力が妨げられる可能性がある。それによって仕事に嫌気がさし、仕事を辞める可能性が高くなる。
「私はこの発見に驚いた」と、ハーバード・ビジネス・スクールのフランチェスカ・ジーノ教授は言う。「家庭での役割から仕事の役割に移行するために努力が必要だという考えは、必ずしも感覚的に納得できるものではない。普通は役割を切り替えることなど、帽子を変える程度の簡単なことだと思うものだ。だが実際には役割間の移行には時間と労力が必要であることがわかった。これは生活のなかで、より注意を払う必要がある部分だ」
ジーノはこの論文を、コロンビア大学経営大学院のジョン・M・ジャチモウィッツ、ミシガン大学ロス経営大学院のジュリア・J・リー、ノースカロライナ大学チャペルヒル校のブラッドリー・R・スターツ、チューリッヒ大学のヨッヒェン・I・メンゲスと共同執筆した。
長時間通勤者は仕事を嫌いになる
これまでの研究で、通勤時間が長いほど、仕事に対する満足度が低くなり、退職する可能性が高いことがわかっている。2006年のある調査では、人々が朝の通勤を一日で最も好ましくない活動だと考えていることが判明した。
通勤時間の平均は往復76分間だが、多くの労働者はそれよりはるかに長い通勤に耐えている。実際、通勤時間は一般的に伸びている。ある調査では、2000年から2012年の間に、アメリカの労働者の自宅と職場の間の距離は約5%長くなったことがわかった。
通勤にかかる時間は予測がつかない、ということもあって、人々はストレスを感じている。また、渋滞で会議に遅刻するようなことになれば、その日の仕事をせわしなく、イライラした気分で始めることになる。
「通勤には適応などできない。何が起きるかまったくわからないからだ」と、心理学者のダニエル・ギルバートは今回の報告書で述べている。「交通渋滞にひっかかることは、毎日、ある種の地獄にいくようなものだ」
ジーノらはこの研究で、通勤がなぜ人をいらつかせるのか、長距離の通勤で最も影響を受けるのは誰か、そして通勤によりよく対処するにはどうしたいいか、といった点について調査を始めた。
わかったのは、長い通勤時間の間、人は家庭と職場の役割の間で宙ぶらりんの状態になっていることだ。構造化されていないこの時間帯が「役割の曖昧性」を引き起こし、自分が何を期待されているのかがわからなくなる、という不快な感覚が生じる。
多くの場合、人は通勤を嫌っているが、「理想的な」通勤時間について尋ねられると、「0分」とは言わないものだ。ある調査では、最適な通勤時間は16分ということがわかった。
特別に通勤が重荷になるタイプとは?
結局のところ、通勤がどれほどストレスになるかは、人による。一部の人は他の人よりも長時間通勤を苦にする度合いが大きい。ジーノとそのチームによる3件の研究結果は、特定のタイプの人々にとって朝の通勤が厳しいことを示している。
①「自制心」特性が低い人
自制心レベルが高い人は、行動、思考、感情を調整する鋭い能力を持っている。自分自身で目標を設定し、集中し続け、目標に向かって順調に進むことができる。自制心が高い人はその一日の優先順位を設定することにより、仕事の役割により簡単に、自然に移行するため、通勤によりよく対処できる傾向があるという。
一方、自制心レベルが低ければ、前もって計画を立てず、音楽を聴いたり空想したりするなど、その瞬間に満足感が得られる思考や行動を選択する可能性が高い。しかし、通勤中のリラックスした活動は、仕事の役割に円滑に移行する能力を妨げる可能性がある。
さらに悪いことに、家庭での役割についての思いを引きずりながら職場に到着すると、それによって仕事モードへの切り替えを妨げられることが多い。こうなると、通勤のストレスに弱くなり、仕事の満足感が薄れ、仕事を辞める可能性が高くなる。
イギリスのあるメディア企業の従業員を対象とした調査では、通勤時間が15分伸びるごとに、自制心の弱いタイプの従業員は仕事の満足度が1から7のスケールで、0.26ポイント下がった。また、彼らはその後仕事を辞める可能性が高かった。自制心の高いタイプの従業員は通勤時間が伸びても影響を受けなかった。
②仕事と家庭の対立が激しい人
多くの場合、わたしたちは家庭と職場の両方の役割から強いプレッシャーを受ける。たとえば仕事の割り振りが下手な上司の要求にこたえること、手のかかる子供の世話をすることに適切なバランスをとること、自分のケアをして休息をとることが、むずかしくなることもある。
こうした役割の対立は、燃え尽き症候群につながり、罪悪感、敵意を育む可能性もある。極端な場合には、健康状態が悪化することさえある。家庭と仕事の対立が大きい人は、仕事の役割への移行が難しくなり、その結果、長時間の通勤が大きな負担になる。
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「やることリスト」を考える時間にしよう
ジーノらは、通勤時間を有効に活用している人は、これから始まる仕事の役割に達成したいことに思いをめぐらせ、それによってさまざまな恩恵を受けていることを発見した。これは「役割明確化の見込み」と呼ばれ、心の働きを次の段階に移行させる戦略だ。
ある研究では、平均通勤時間約52分、85%が車で移動する443人の参加者に対する現場実験を4週間にわたって実施した。一部の参加者には「通勤時間を使って、目標に集中し、勤務時間にすべきことの計画を立ててください」という指示を与え、それ以外の参加者は音楽を聴いたり、ニュースを読んだり、ソーシャルメディアをチェックしたり、自分で楽しいと思うことをするよう指示された。
この研究の結果、通勤中にその日の仕事の計画を立てた参加者は、自分の楽しみの活動をした人よりも、仕事に対する満足度が著しく高く、仕事を辞める気持ちが低下したことがわかった。
この戦略は、人々の注意を現在起きていること(あまり面白くない通勤)から、仕事で有利なスタートを切るという考えに向ける。「将来の焦点」に思考を転じることで、あやふやだったその日のスケジュールが明確になり、準備ができていると感じることができる。(研究者によれば、仕事前の運動など、他の習慣も同様に効果的で、家庭から仕事の役割への移行を助けるという)
リーダーが通勤時間の有効化を支援
「役割明確化の見通し」戦略が逆に作用する可能性があることも、この研究で判明した。帰宅中に仕事関連の問題を頭のなかで反芻することは避けるべきだ。夜、家に帰るときは、夕食に何をするか、子供たちとどのような活動を楽しむかといったことを考えたほうが、家庭での役割にたやすく移行できる。
この戦略は4週間の研究期間中、参加者にとって役に立ったが、長期的に効果が持続するかどうかはわからないことを研究者は認めている。
しかし研究チームは、このようなやり方が習慣になれば、この先に果たすべき役割に備えて通勤の間に思考を方向付けるよう自分を訓練することは、それほどたいへんではないかもしれないと考えている。
今回の研究で、長時間の通勤が人によって仕事に有利に働くことも、不利になることもあることを発見した研究チームは、職場と家の間の時間をいかに過ごすか、ビジネスリーダーが従業員と話し合うことを勧めている。これが離職率を下げる役に立つかもしれない。
「リーダーは通勤時間を上手に活用する必要があることを従業員が理解できるよう、助けるといい」とジャチモウィッツは言う。「さらに、従業員にとって長時間の通勤が耐え難いものになりうると理解することは、リモートワークなど、就労形態の柔軟性を高めたい組織にとって重要だ」
通勤中の自分を「受動的な存在」とみなすのではなく、生産的な活動ができる時間帯をみなすことができれば、仕事そのものがより満足できるものになるかもしれない。研究チームはそのことに気づいてほしいと願っている。
ミシガン大学のリーはかつて、100分もかけて通勤し、職場に着くころにはくたびれ果てていた。「毎朝、たいへんな交通渋滞で、周囲は怒りに満ちた運転手ばかりの地獄だった」
現在の通勤時間は10分に満たない。そんなに短い通勤でも、その時間を使用して、職場に着いてからやるべきことを計画することにはメリットがある、とリーは言う。「その日、達成すべき最も重要な3つの目標か課題を仕事のことを考えるといい」
This article originally appeared in Harvard Business School’s Working Knowledge.
(翻訳:栗原紀子、写真:/iStock)
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This article was translated and edited by NewsPicks in conjunction with HP.