【天沼 聰】異国で悟った「みんな違っていいし、全員が正しい」

2019/12/10
2015年2月開始の月額制ファッションレンタルサービス「airCloset(エアークローゼット)」が大きく成長している。約300ブランド・10万点の中からプロのスタイリストによって、ユーザー別にコーディネートしてくれた洋服が自宅に届く。

ファッションレンタルサービスの中でも「普段着に特化」し、「選ぶのはプロのスタイリスト」という点が特徴だ。月額6800円(+税)から手軽に利用できることから、20代後半~40代を中心とする女性に注目されている。

ライフスタイルの中で「新しいファッションや自分との出会い体験」という価値を届けるサービスは、4年半で会員数は25万人を超えた。ファッション業界に新たな視野と可能性を見せるその事業モデルやサービスには、“ファッション業界新参者”ゆえの徹底した世界観の追求と、実行力があった。創業者の一人で、社長兼CEOの天沼聰氏の哲学に迫る。

父の影響と突然の他界

ライフスタイルに浸透するサービスをつくろう――。これは会社員として働いていたときからずっと考えていました。子どものころから、人の生活への興味が強かったように思います。
幼少期の天沼氏
開業医をしていた父の仕事や交友関係の影響で、日本で暮らす海外の人と会う機会が何度かありました。
小学生のときに、日本で暮らすアメリカ人が開いたクリスマス会を体験したんです。
当時の一般的な日本のクリスマスというと、家族でケーキを食べるぐらいで、その後に訪れる主役のお正月を待つイベントという認識でした。イルミネーションもありませんし、ささやかなものでした。
誘ってくれた父の友人宅にお邪魔すると、クリスマスが1年の最高潮。ハッピーニューイヤーはくるけどクリスマスをピークに楽しんでいることに、大きな文化の違いを感じてワクワクしました。ほかの国の文化にももっと触れてみたら面白そう。そんなイメージも広がりました。
あの異文化のクリスマス会が、その先、高校、大学と海外で生活することへつながる原体験だったのだと思います。海外への私の興味はそのころから今も、「言語の違い」より「人の生活の違い」のほうに強くあります。
父からの影響によるものは、テクノロジーへの興味もそうでした。
天沼氏(中央)と両親、兄弟
新しいもの好きの父で、小学生のとき家庭用パソコンが出はじめたときもすぐ買ってきてくれました。
MSX規格でつくられたパソコンがいくつか発売されていた1980年代半ばから触れていて、最初はゲームをしたりしていただけですが、次第に自分でゲームをつくってみるなど興味が進んでいっていました。
私の興味や世界を、父はどんどん広げてくれました。父の背中を追うように、少年時代の夢は医師になることでした。
それが、小学5年生の冬、11歳のときに父が倒れてそのまま帰らぬ人となってしまいます。
突然のことでした。精神的な真ん中にいて目標に置いていた父がいなくなり、自分はどう生きていけばいいのか分からなくなりました。
父が亡くなった前後の記憶は、もやがかかっていてほとんど覚えていません。不安定で幻聴がよく聞こえるようになり、心に大きな穴が開きました。通っていた塾にも行かなくなって中学受験もできませんでした。

留学と旅で異文化に触れる