美味しくないメニューを頼んでしまったら“失敗”なのか? 「人生を失敗したくない」人に伝えたい、幸せの尺度の捉え方
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中学生からの質問
「人生に失敗したくないんですけどどうすればいいですか」
に対し
例えばレストランに入って
食べたことがないものを注文して
思ったよりおいしくなかったのを「失敗」と思うのか
それも笑けるなり
1ネタできたなり
いい経験になったなり
これでもう頼まないなり
前に行く解釈ができるか
という失敗の定義を変えてあげるアプローチをとる
とのことですが
もう少しシチュエーションを特定して
例えば初デートでレストランに入って
食べたことがないものを注文して
思ったよりおいしくなかった
という場合も失敗とは思わずにいられますでしょうか
中学生の言いたいのはそういう事だと思います
ここぞという時に正しい選択ができるかどうか
でもそんな程度で相手にそっぽ向かれるようなら
そもそも縁がなかったということだし
レストランなりメニューの選び方も洗練されるなり
そんなアクシデント時の切り替え方も磨かれるなりして
よりよい相手を見つけられる
という事かと思うので
そう考えると人生において失敗というのは
実はそんなにないのかもしれませんね「人生を失敗したくない」言っている意味がよく分かりませんが、
ぶっつけ本番の一度きりの人生なのだから、誰しも失敗するのは当たり前じゃないですか。
失敗したことない人は何も挑戦していないのと同じだと思うし、私は成功しているより、何度も失敗してきてそれを乗り越えてきた人の方が人として魅力的だと思う。
美味しくないメニューを頼んでしまったら、人生の中で一番美味しくないものを食べた経験をしたと思えば良いのでは。愚かな。
マズい料理や不思議な料理の味を知るからこそ、別の機会に食した「美味しい料理」について、何故どのように美味しいのかを理解できるのだよ。
第一、美味しい料理しか食べた事が無かったら、それが「美味しい料理」と言う認識が生じない。
果たしてそれは、人生を豊かにするだろうか?幸福な事だろうか?・・と言う問いだと言えよう。
しかしてその答えなど判りきっているのだから、マズい料理は自分の知見の幅を広げるためにも、食材への感謝のためにも、可能な範囲で心して食すべし。
その料理者がどのような理由でそのマズさを実現したのかに想いを馳せ、想像力を高める事もまた鍛錬。
「あの料理、激マズ!」とか言われたら、むしろ積極的に食してみたくなる程の好奇心は持ち続けたいものだ。
※ちなみに記事は2行位しか読んでない。