加藤浩次には狭すぎる
コメント
注目のコメント
宇野常寛さんの加藤浩次についての文章。当人を知っているからこその書ける内容なのだろう。しっくりきた。ただ、吉本の問題はどう収束していくべきなのか、僕には分からない。
ひとつ改めて浮き彫りになったことは、当たり前のことだけど、この世界は、ルールや企業や倫理だけでできているわけではないということだ。不完全な人間が作っていて、不完全な人間で構成されているということそのものだ。悪いやつもいるし、ウソもつくし、失敗もする。反社と言われる人たちが世の中からいなくなることもないだろうし、そしてその人たちもまた人間である。
その前提をどこかに忘れて、自分の名前すら明かさないような集団が個人の行動の一部分だけをとって、鬼の首をとったように退場するまで非難したりこき下ろしたりすると、野田秀樹の舞台じゃあるまいし、それではもはや成立しないこともたくさんある(それなりの処分を受けるべきだとは思うが、今回の件で誰が宮迫の芸能界引退までを望んだのだろう)。かといって(特に大)企業が企業体として不完全が当然のような前提で振る舞うのは今の時代にはまったくもっておかしい(加藤浩次のトリガーになったのはここだろう)。
ワイドショーという名の、ある意味匿名的な攻撃にももう飽きたし、せめて番組ごとに編集長的な主張の責任者をつけるべきだろう。ネットの匿名の意見を世論のようにとりあげるのも正味やめてほしい。いろいろなものを再設計しないといけないタイミングなんだろうけど、匿名の集合体をのさばらせると碌な事がないな。国が嫌いになりそうなレベルである。
宇野さんの文中にもあったけど、たしかにまっちゃんのフィクサリズムにも本件に関しては少し偏りがある気もして、このようなシチュエーションでリーダーシップを取るべきは誰なのだろうか。今回の加藤さんの行動は、もしかしたら感情を抑えられずに(最初は)勢い余ってしまったのかもしれないですけどね。
でも、正しいんじゃないですかね。
とても共感できますし、私自身も同様な態度や行動を取ったと思います。(事実私自身も、社会に入って数回同様の行動を取った実績があります。だからといって、結局何かが変わったのかはわかりませんが…)
7月23日(火)のスッキリの中で、吉本が発表した(どこの会社でも行う、あの形骸化されたような)再発防止策についても納得せず、高橋真麻さん(番組内ではほとんど公平目線で的を得たコメントをしてましたが…)が『じゃ、どんな防止策なら納得いきますか?』と何度も問いかけていた時も当然答えず。
ムリですからね。そんな簡単に正常になるのなら、とっくに世の中全員正しく行動出来てますって。
短期的な目眩まし的に打ち出す具体策なんかじゃ結局元の木阿弥になることがわかっているのでしょう。
やらないよりマシだと言う人は多いでしょうが、やらなくても一緒だと思います。人や組織、社会すべてにおいて根本的に改善(ベースがまともになる)されるしかないのだと思います。
こういう事案をきっかけとしてでもよいから、もっともっと物事の本質を大切に出来る人が増えることを期待します。『決してご都合主義や事なかれ主義のままではいない』、『過ごす人たちの大切な時間を無駄遣いしない』という目標を持って生きていきたいものです。何百年かかるかはわかりませんが、これこそ目眩ましではなく、地道な心がけによって達成出来るものだと思います。
みんな目先の利益にとらわれ過ぎていると思いますね。”よく、ケンカしていた。"
"正確に言えば、僕には(そしておそらくは加藤さんも)ケンカしているつもりはなかった。"
日本では,議論と人格否定があまりにも混同されてる.
国会も,ワイドショーも,朝ナマも,握手で終われば良い.
高校球児のように.