吉本興業 宮迫博之との契約解消を発表「重大な支障が生じた」 会見はせず
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なので私は信頼できる友人に紹介された場合か、明らかに公の場でのイベントとわかる時意外は写真を撮らないようにしています。そうすると、「写真撮るの当然だろ、なんでそんな事もしてくれないのか」と不満そうにいう困ったちゃんがいます。説明しても酔っ払ってたりすると分からず絡んでくる人います。まじ勘弁してほしいです。断るのも大変なんす。
論点満載の出来事でした(です?)
まず、反社というものの存在とそれへの接触をどう考えるか?同じことにサラリーマンや役人が遭遇したらどういうことになるか?反社に「人権」はあるのかないのか?以前、総会屋問題が燃え滾っていた頃、捜査当局の人たちは「反社に人権なんてないんだ。被害者のこと考えろ」と叫んでしました。また、金融機関はシステム的に反社をはじくようにしている。新規口座開設も送受金も証券取引もできません。そこまでして除こうとしている反社という存在を冷静に考える必要がある。
つぎに、いつ晒し者にされるかわからないネット社会の恐ろしさです。人間の行動は、原則として故意のある(わかっていてやる)行為に責任を負わされるはずですが、故意も(ほぼ)過失もない行ないでも、ネットという集団リンチの場に引き出されると、もう状況証拠だけでアウトにされてしまう。
さらに会社の内なる悩みは外からわからない。だから叩かれっぱなしになる。かつて、私もいわゆる不祥事を複数回経験しました。会社、いや業界がなくなるんではないかというほどのもの。逮捕者も沢山出た。
広報部門は会社としての公式見解しか出せません。するとメディアの「夜回り」が役職員の自宅に敢行される。そして、事情を知らない社員や不平社員ほど「社内の噂」を語り、それがまた「腐りきった社風」とかなんとか書きたれられる。
すると、外からは「なぜもっと早く説明しないのか」「広報戦略がだめだ」「逃げの一手」「やはり尻尾切り」と叩かれます。
不祥事に見舞われると、社員の家族まで「差別の目」でみられる。学校で子供はいじめられる。ヨメさんは、なんでかわからないが近所に「お騒がせしてすみません」
まだまだありますが、要は内なる目と外なる目の、決定的な立場の差をどう見たらいいのかなあ。会社がモノ言えば、何を言おうが非難される。言い方によっては、外から評価されても、社員がそっぽを向く。でも、イワユルヒトツノ社会的責任論がある。
そして、この手の話に「不祥事」経験者は口を閉ざし、有識者が上から目線で色々おっしゃる。なぜか。経験者はこういう話をきっちり語る空しさ(それがまた第二次バッシングに繋がること)を感じているからではないか。
まとまりない感想ですが、ともあれ深く、悩ましく、難しい課題だなあ、無責任な答えは出せないなあ、という次第です。複数の週刊誌に、問題視される写真が掲載されているわけですが、じゃあ週刊誌はどうやってその写真を手に入れたか、誰も追求しないんですかね?
反社集団から金をもらっていたことが問題視されているこの件。
もし、週刊誌が反社集団に金を払って、件の写真を手に入れているとしたら、集団に活動資金を提供しているわけで、それこそ大問題だと思うのですが。