なぜ自動車評論家の愛車にはドイツ車が多いのか?その「職業上」の特徴が関係している可能性を考える – カレントライフ
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注目のコメント
なるほど。
コレがホントなら、評論家はみんな仕事やめた方がいいです。
クルマ見る目が素人以下ですもの。
メーカーのプレゼンテーションでクルマ判断してるなんて。
よくコレで原稿書いてカネ取れるなって話です。
『もしその通りだとすると、機能についてしっかりと説明を受けたドイツ車、日本車に対しては「機能的に優れる」という印象を抱くかもれないし、それらドイツ車や日本車と同じコンポーネントを使用し、同じ機能を持つはずのイタリア車、フランス車、アメリカ車のプレゼンテーションにおいて、機能に関する説明が少なければ、「機能的な特徴が無いんだな」と感じるかもしれない。』この記事の筆者は、自身を「アマチュア評論家」だと公言している。
そして「プロ」には、スキルと情報量の面で劣っていることも認めている。
https://current-life.com/life/automobile-journalists/
その上で「自動車評論を生業とする人々」の評論能力を批判するというのはどういうことなのでしょう。天に唾する行為に見える。個人的には、「(会社広報ではなく)実際の作り手の想い」と「それが実現できているか」の評価を載せて欲しいです。
仮にメーカーの企画が純粋なマーケット分析が起点だったとしても、そこには必ずそこに心血を注いだ作り手の想いがあると思います。
限られた予算の中でオミットされつつも最大限努力した部分もあるでしょうし、でもやっぱり微妙になってしまった部分もあるでしょう。
スペックには書かれていなくても、絶妙なバランスが成立している事もあるでしょう。
ユーザーに作り手の想いが広く伝わる事で、メーカーからもより良い自動車が出てくるようにも思います。
その繋ぎ手の大役こそが、本来は自動車評論家でなければならないように思うのですけれども。
カタログスペックやメーカーの受け売りではなく、想いの実現度合いを客観的に伝えて欲しいです。
※従って、取材対象はそのクルマだけではないハズ。