デジタルトランスフォーメーションに必要な「3+1」

2019/7/18
成熟した国内市場、就労人口の減少、グローバル化……。こうした変化が同時多発的に起きている今、企業にとってデジタルテクノロジーを活用した業務改革、イノベーション創出は、優先度の高い経営マターになってきた。
一方、こうしたデジタルトランスフォーメーション(DX)を支援するITベンダーは、どのようなかたちでユーザーをサポートしようとしているのか。キーテクノロジー、AIでマーケットをリーダーするIBMの戦略とは。同社主催イベント「Think Summit」の初日、基調講演を取材した。

イノベーションのカギは「エコシステム」

基調講演では、5月1日にトップに就いた日本IBMの山口明夫代表取締役社長が登壇。
まずは、デジタル化の進捗について言及。日本は、世界のテクノロジーの活用のスピードに対し、日本が遅れをとっていると述べた。
例えば、キャッシュレス決済の普及率は、スウェーデンは98%であるのに対し、日本は20%(2016年)。AIを導入済または検討中と答えた米国企業の割合は46%なのに対し、日本では20%だという(2017年)。
経済産業省の調査資料『DXレポート~ITシステム「2025年の崖」の克服とDXの本格的な展開~』では、デジタルテクノロジーの利用遅れなどにより2025年以降に年間で最大12兆円もの経済損失が起こるという予測もあり、デジタルトランスフォーメーション(DX)が急務な状況と、テクノロジーを活用したイノベーションの必要性を訴えた。
「多くのリーダーは、テクノロジーを活用してイノベーションを起こそうと明確な意志を持っています。ですが、企業内で完結させようとしてしまっているのが現状なのではないでしょう。イノベーションには異なる知の組み合わせが不可欠。企業と企業の枠を越えて協業し、エコシステムを構築することが、イノベーションを起こすカギだと思っています」
日本IBM 山口明夫代表取締役社長
そうした環境の中で、日本IBMが企業のDX加速、イノベーション創出を支援するために進める戦略が「3+1」だという。

山口新体制の戦略は「3+1」

「3+1」とは、山口新体制で推進する3つの戦略とそれを下支えする1つのポリシー。それが、
1、デジタル変革の推進
2、先進テクノロジーによる新規ビジネスの共創
3、IT人材の育成
+1、信頼性・透明性の確保
「デジタル変革の推進」とは、2021年には9割の企業が複数のクラウドを使ってビジネスをしている予測がある。企業全体のデータやクラウド自体の管理が、課題になると予想される。
そこでIBMは、プラットフォームフリーなIT基盤の提供を約束。2018年、オープンソースソフトウェア(OSS)のディストリビュータであるレッドハットを買収したのも、この潮流の一環だと説明した。マルチクラウド環境でのシステム構築、運用、管理を総合的にサポートしていくと強調した。
Think Summitは東京・天王洲の「Warehouse TERRADA」で開催された
2つ目の先進テクノロジーによる新規ビジネスの共創では、注力する分野として4つのフォーカスポイントを示し、この領域においてとくに研究開発を加速させるという。
1, 次世代AI
2, 量子コンピュータ
3, 世界最小コンピュータ
4, 食の安全テクノロジー
基礎研究の方向性については、日本IBMの森本典繁執行役員・研究開発担当が登壇し解説。次世代AIについて話し「優れたAIを開発するには、3つのファクターの向上が不可欠。それが①アルゴリズム(ソフトウェア)②知識(データ)③計算能力(ハードウェア)。この3つをそれぞれ高度化させる必要があります。これらすべてをもっているのがIBMの強み」と話した。
日本IBMの森本典繁執行役員・研究開発担当
3つ目は、IT人材の育成。2025年には日本で43万人のIT人材が不足すると予測される中、同社のAI人材の早期育成の取り組みや、世界で数多くのIT人材を育成する教育機関「P-TECH」の事例を紹介した。
そして最後に3つの戦略を下支えするIBMのポリシー「信頼性と透明性の確保」について言及。AIが導き出した答えにおいてその思考プロセスと根拠が分からないという「AIのブラックボックス問題」を引き合いに出して、IBMの信頼性と透明性に対するスタンスを話した。
「IBMが開発するAIの目的は、あくまで人間知能の『拡張』であって、『代替』ではありません。AIの判断の根拠がブラックボックスのままでは、社会からは信頼されないと強く思っています。なぜこのデータを使ったのか、なぜこの判断なのか、という根拠を示すテクノロジーの開発に力を入れることをお約束し、どのAIよりも信頼されるAIを開発していきます」

第一生命の「Ins Tech」戦略とは

基調講演ではIBM幹部のほかに、DXを推進するユーザー企業が登壇。初日は、保険業界から第一生命ホールディングス、銀行業界からみずほ銀行の幹部が壇上で語った。
第一生命ホールディングスの稲垣精二代表取締役社長が登壇。同社の“変革”の歴史を振り返るとともに、事業環境の変化について言及した。
「これまではマス型の商品供給の論理が主流でした。ですが今日では、データの解析技術の進歩に伴い、お客さまをより深く理解することができるようになっている。その結果、よりパーソナライズされた商品供給が可能になり、多様な欲求に応えらるようになっている。それは保険業界でも同じ。お客さまの多様なニーズに対応できない企業は、淘汰されてしまうのです」
第一生命ホールディングス 稲垣精二代表取締役社長
そこで同社は、保険ビジネス(Insurance)とテクノロジー(Technology)の両面から生命保険事業独自のイノベーションを創出する取組を「InsTech」と銘打ち、グループ全体で推進。ビッグデータ解析などを用いて、商品の多様化や付加価値向上の取組を強化しているという。
象徴的なのが、「保険プールの変革」(一部のグループ会社内における事例)だ。従来の保険は、実年齢をもとに病気になるリスクを計算し、保険料を設定してきた。この方法では、実年齢以上に健康な40歳も、病気になるリスクが高い40歳も、実年齢をもとに保険料が決まり、健康増進へのインセンティブが提供できていない。
そこで同社は、ビッグデータなどを用いて、“健康年齢(健康年齢は(株)日本医療データセンターの登録商標)にもとづく保険料設定の方法を開発。健康年齢が若いほど保険料が安くなるという新たなCX(Customer Experience)を通じて、健康増進へのインセンティブを提供している。
また従来の保険の機能とは異なる「Prevention(予防・早期発見)」の提供にも積極的だ。同社は、これまで保険が提供してきた「大きな病気になった時の経済的なサポート(Protection)」に加えて、「病気にならないための予防的なサポート(Prevention)」を全ての加入者に提供することで、健康寿命の延伸や医療費の抑制などの社会課題に貢献することを提唱している。
2018年12月に発売した認知症保険はその典型だ。認知症と診断された際の給付金のほか、米国のシリコンバレーの先端テクノロジーを導入し、認知機能低下をスマートフォンで簡単にチェックできるツールを提供している。
認知症は現時点の医療技術では治らないため、発症回避や進行抑制がもっとも有効とされている。早期発見に役立つチェック機能の提供は今までの保険にはない新たな価値を提供しているという。
新たなCXの提供だけでなく、生産性の向上も保険業界にとって重要なポイントだ。例えばコールセンター。電話をかけると、しばらく音声ガイダンスが流れ、ユーザーが取り次ぎ用件の番号を押して専門の担当者にやっと繋がる。お客さまに煩わしいと感じさせることがあっても、問い合わせ内容が広範囲かつ専門性が求められるため、担当縦割制を採らざるを得ない事情がある。
そこで活用しているのが、「IBM Watson」だ。IBM Watsonの人工知能を活用してオペレーターに最適な回答を提示。応対難易度が低い問い合わせについては、専門の担当者につなぐプロセスを経ることなく、横断的に応対ができるようになることを期待していると話した。

「大学×銀行」がデータサイエンスで起こす化学反応

稲垣社長のセッション後には、銀行の例としたみずほ銀行が早稲田大学とともに登壇。みずほ銀行は2018年7月、データサイエンス活用の視野拡大を目的に、早稲田大学は学術交流協定を締結しており、そのアプローチの背景について語った。
IBMコーポレーションのバンキング&フィナンシャル・マーケッツ担当を務めるサラ・ダイアモンド氏をモデレーターに迎え、みずほフィナンシャルグループの向井英伸常務執行役員と、早稲田大学の松嶋敏泰データ科学総合研究教育センター所長が対談した。
IBMサラ・ダイアモンド氏(左)とみずほフィナンシャルグループの向井英伸常務執行役員(中央)、早稲田大学の松嶋敏泰データ科学総合研究教育センター所長
早稲田大の松嶋氏は、学問の全分野でデータサイエンスの知識が必要になっていると強調。みずほ銀行との協定締結に至った背景を、こう語った。
「大学は知の創造を担う機関。その知の創造プロセスが、ここ最近で大きく変わってきています。データの分析技術が進歩したことで、データから新たな理論を構築する方法が、主流になってきているのです。みずほ銀行の多様なデータ・人材と、大学の各分野の研究者が合わさることで、大学、そして社会に新たな可能性を広げられると考えています」
「産学連携では、研究のアイディアを速やかにプロジェクトに移すことが重要」と話すのは、みずほ銀行の向井氏だ。そこで本提携では、データ分析のプラットフォームとしてIBMのWatson Studioを採用。データの加工、分析、可視化などの工程を全てのオールインワンで行える点や、メンバー間での情報共有が容易にできる点なども、コラボレーションに適していると語られた。

DX戦略に特効薬はない

基調講演の最終セッションでは、2018年に戦略的パートナーシップを結んだセールスフォース・ドットコム代表取締役会長兼社長の小出伸一氏が登場。同社のクラウドサービスは、業種や業態を問わずに、企業のDX戦略を支援できると主張した一方で、だからこその難しさを以下のように話す。
「DX戦略を推し進めるにあたり、特効薬はないのです。なぜなら、お客様のDX戦略の定義は様々で、置かれている状況も違う。インフラのデジタル化を検討している会社もあれば、ビジネスモデルそのものを変えようとしている会社もあるのです。
DX戦略には、正解や特効薬はありません。だからこそ、チームや企業の決断が必要。我々はそれを含めて、全力でお客様のデジタル化を支援していきたいのです」
セールスフォースの強みは、顧客とのタッチポイントを活かしながら、最高の顧客体験を提供できる点と語った。これから顧客が複数のクラウドやAIを利用する時代になる中、IBMとの協業は顧客の期待を超えた価値を生み出せると展望を語った。
山口社長も企業のDXは千差万別であり、それらの要求に応えるためにはオープンな姿勢でエコシステムを形成することが重要であることを改めて強調。IBMの戦略を明確に示し、講演を締めくくった。
〜IBM Technology From Exhibition Space〜
「Think Summit」では、日本IBM幹部の講演やユーザーパートナーのセッションだけでなく、IBMの最先端テクノロジーに触れられる展示スペースも用意。AIや量子コンピュータを身近に感じられる場所として人気を集めた。
1、 Watson
Watsonから問いかけられる簡単な質問に答えると、自分の「第二の職業」を提案してくれるというもの。システムには、3000種類以上の職業と3000人以上の性格の特性データが組み込まれ、Watsonの機能である「Speech to Text」や「 Personality Insights」などの機能を使って最適な職業を提案している。
健康寿命が伸び高齢化が進むことが確実な日本では、「セカンドキャリア」が今後注目を集める。そうした中で、テクノロジーが第二のキャリア選びをサポートするというコンセプトのもと、開発に至ったという。
実際に試している人の様子をみると、現在システムエンジニア(SE)を担当している人が第二の職業として向いているのは「漁師」だった。
2、 Deep Learning Technology
人気ゲーム「ボンバーマン」の動作を模した「ポンマーマン」というゲームを展示。このゲームは、碁盤の目のようなステージでキャラクターを動かしながら爆弾を設置し敵を倒す対戦ゲーム「ボンバーマン」と基本的には同じコンセプト。
違うのは人がコントローラーを使ってキャラクターに相当するエージェントを操作して対戦するのではなく、AI同士が戦うということ。発生しうるさまざまな状況下で、敵より良い行動を選択するAIアルゴリズムを事前に開発して、プログラム同士を戦わせるというものだ。
このAIプログラムは世界大会があり、No.1を獲得したのが実はIBMの基礎研究所の研究員だった。展示では、そのプログラムと対戦できるコーナーを設置。かなり強さでAIプログラムのクオリティの高さを印象づけた。
3、極小コンピュータ
顕微鏡を使わないと見えない塩粒コンピュータとして展示。この小さなサイズの中にCPUが3個入っているという。過去のコンピュータのサイズとは比べものにならない小ささだけに、ウエアラブルデバイスなどの発展に貢献しそうだ。
(編集:木村剛士、構成:金井明日香、撮影:森田兼次)