大人の善意が子どもの感性を殺してしまうことがあることを知ってほしい
大人になってから学ぶサッカーの本質とは
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少年サッカーの現場においては
「このときはパスだ!」「〇〇に渡せ」「こっちに動け」と、大人の考える「上手なプレー」への過度な導き、大人の考える「正解」のプレーへのコントロールを目の当たりにすることがあります…「教育」と「子育て」を混同していることが原因ですね。
指摘されていることは、よく理解出来ます。最初の「絵に手を加える」エピソードなどは、いかにもな内容ですね。
しかし、教育というのは(基本的に)国家が行うもので、そこには「こういう人材を育成しよう」という意思があり実行されています。
現在の日本の教育は、分かりやすく言うと「大量生産大量消費の工業社会に必要な全体主義的集団を形成する没個性で支配者に対して従順な労働者」を育成する教育です。
つまり、時代遅れな教育をしているんです。そして、そういう教育を受けてきた人達だけで「これではダメだから改革しよう」ともがいているのが、現在です(笑)
何が言いたいかと言うと、現在の教育が間違っている!と親がわかっているなら、我が子だけでも、その腐ったシステムから隔離するか、可能な限り対抗する教育を個人で行うかしかないのです。
国家が行うシステムに対して、ネットや書籍で問題提起したところで、自己満足でしかありません。
また、真に個性を求められる人材というのは少数でいいのです。> 「こうでなければならない」といった大人側の「ねらい」に気づいてしまうと、それはもう遊びでも表現でもない、大人を喜ばせるためのゲームになりさがってしまう。
→まさに、日本の義務教育の目指すところですね。
意図せず発揮される大人の同調圧力、子供が意図せず学ぶ同調圧力。