平野啓一郎が語る、三島由紀夫とその文学
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ちょうど中学生の頃、割腹事件がありました。
立て篭もりはTVで放送され、市ヶ谷駐屯地での最後の演説姿は、目に焼き付いています。
当時三島ファンは多く、小学6年時担任の先生は、数学者の岡潔氏と小説家の三島由紀夫氏に心酔しておられました。
家に三島由紀夫氏の「仮面の告白」があり読みましたが、私の稚拙な知性では理解不能で、直ぐに読むのを止めたのを記憶しています。
その後指導していたママさんコーラスに、お兄様のお友達が盾の会に所属いた方が居られ、その方から三島由紀夫氏の最期は悲惨なものであったらしいと聞きました。
なんでも身体中を鍛えておられ、首の筋肉が強靭過ぎ、介錯する筈が刀が上手く肉を切れず、大変苦しまれたと聞きました。
若い優秀な人を道連れにした報いだと、彼女が言っていたのを記憶しています。
音楽家黛敏郎氏が偲ぶ会の発起人をされましたが、奥様をはじめご家族は何方も出席されなかったのは、印象的でした。紫式部と並び最も尊敬する作家。
>「ただ、三島が40代になってから、川端康成が受賞したころ(1968年)にノーベル賞を取っていたとしても、最後の自決の行動はきっと変わらなかったんじゃないかと思います。つまりその前の段階から、死を意識し始めていたのではないかという気がしますね。」>
人間は生ぐさい生き物だとは思いますが、遺作『天人五衰』はこの世は認識が全てという恐ろしい結末でした。ノーベル賞を欲する心も認識の産物だとすれば、それを行動で断ち切ったのかもしれません。この後半部分(文学というものは、〜)だけでも読んで欲しい!
凄く熱量の伝わるインタビューです!
僕がなぜ三島作品に魅了されたかというと、三島作品を読むとトーマス・マンのことが気になり、森鴎外が、オスカー・ワイルドが、ボードレールが気になり、ドストエフスキーが読みたくなる。文学というものは、一つの作品が真空状態の中でぽつんと孤立しているのではなくて、非常に広大な森のように有機的に結びつけられたもので、一作の小説を読むとその背後に豊かな文学の森が広がっている。そういうことを感じさせてくれるのが三島作品だったんですね。