【VC史】200億円ファンドとビットバレーから学んだ投資哲学
2019/6/4
海外に活路を求めた資金調達
──前回、グロービス・キャピタル・パートナーズ(以下、GCP)を設立し、一号ファンドがファンドレイズを行うまでの流れを紹介してもらいました。一号ファンドの投資は、どのような結果になったのでしょうか。
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時代背景を簡単に補足します。(^^)
1998年にアラン・パトリコフと会ったのは、97年のアジア経済危機後のこと。日本からはどう頑張っても10億円程度しか集まらないだろうと思っていました。Apaxの話が来た時に以下3つの理由で合弁を組むことを意思決定しました。
1)世界からファンドレイズできる
2)欧米VCの投資手法を学べる。
本当に色々と大変でしたけど、結果的に良かったと思います。1999年に合弁締結して、2006年に解消することになるけど、未だに彼らとは親しいです。明日パリで、APAXフランスの創業者と会います。(^^)
その相当悔しかったであろう小澤さんに連れられて、GCPの門を叩き、仮屋薗さんにプレゼンをし、シリーズAのエクイティファイナンスを実行したのはそれから14年も後の話になるのでした…
と勝手に物語を続けて自分を登場させてみましたが 笑、アソビューも当時のビットバレーのうごめきの系譜に連なっているのだなぁと朝から嬉しい気持ちです。
ネットエイジ西川さん、富士山マガジンサービス西野さん、ヤフー小澤さん、ミクシィ笠原さん、GREE田中さんなど、スタートアップ業界のスターたちの若かりしときの話
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