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対峙する米中 93歳首相が語った「正論」 マハティール氏

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  • 一橋大・京都大学客員教授 インテグラル取締役 京大経営管理大学院客員教授

    マレーシアのマハティール首相、93歳でどうしてそんなに元気か?「食べ過ぎないこと。心にゆとりを持ち、つまらない言動にいちいち感情を爆発させないこと、シンプルな生活を心掛けている」とのこと。なるほど。#マハティール #マレーシア
    また「米国は明らかに中国を恐れている。ファーウェイはもしかしたら米国に対して諜報活動を展開するかもしれないと(米国は)考えている。もしかしたら批判の正当な理由かもしれないが、それは正しい方向ではない。自分の強みを生かして競争すべき。私が確信しているのはCIAは長年にわたって中国やマレーシアでもずっと諜報活動をしてきたと思います。それに対して、米国製品を不買運動することはしていません」
    素晴らしいお方です。改めて尊敬致しました。


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    (株)TOASU特別研究員(経済評論家・コンサルタント)

    「1961年に初めて来日したときには、日本はまだ戦後の復興の時期だった。ところが非常に短い期間で、日本は復興しただけでなく、世界ナンバーツーになり、ナンバーワンになるかというところまでいった」ことに注目を頂いた・・・ 日本が焼け野原になった1945年から経済白書が“最早戦後ではない”と謳い80番目の国連加盟国として国際社会の復帰を果たす1956年まで11年。その後1960年に池田内閣が“国民所得倍増計画”を打ち上げ、1968年に米国に次ぐ世界第2位の経済大国になりました。
    戦前の教育で勤勉であることの価値を徹底的に叩きこまれ「上手にできなかった場合、自分のことを恥ずかしいと思う。腹切りをしたかもしれない。それがあるからこそ何でも最善を尽くす」日本国民は、燃える復興の意欲に導かれるまま、それこそ昼夜を分かたず寝食を忘れて働いた。マハティール首相が垣間見た当時の日本の姿です。世界第2位の経済大国になるまで1945年から数えて僅か23年間。
    その後、中成長の時代を経て1990年にバブル崩壊のきっかけを作り、すっかり低成長になってはや30年余り。日本のムードはすっかり変わっています。良し悪しは別にして物質的な豊かさを求める態度にネガティブなイメージが結びつき、産業優先や物質優先は国民の福祉や精神的な豊かさに立ち遅れをもたらすという意識が強まった。親も教師も子供に頑張ることを教えません。マハティール首相はそのあたりをどのように評価されるのか (・・?
    昨今の我が国のムードの中、かつてのそんな価値観を語れば化石の戯言と叱られそう。でも、売れば直ぐお金になる天然資源に恵まれない我が国が世界第2位の経済大国に至った背景に、世界に評価されるそういう努力と価値観があったことだけは、記憶にとどめておいても良いように思わないでもありません。(^^;


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    拓殖大学大学院 客員教授

    マハティール首相の外国特派員を前にした講演。素晴らしい内容。戦後日本の辿った道を誉めて、キーワードとして倫理観を指摘している。正確。ただ昨今の日本人、日本社会への警鐘も含まれていると受け止めた。


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