人類が獲得してきた「リテラシー」とは

 読み書き能力という意味での「リテラシー」は、比較的最近に生まれた考えだ。人類学の世界では人が何らかの話し言葉を使うようになって約10万年経つと言われているが、書き言葉にはせいぜい5000年の歴史しかない。
 書き言葉を獲得していく進化のプロセスは、いわば脳の「改造」のような側面を持つ。例えば「文字を読む」ためには、聞いたり話したりするのに使っていた既存の機能を変化させなければならなかった。読み書きを身につける際、ヒトの脳は既存のハードウエアを増大させた。古いシステムを継ぎ合わせ、はじめは音を処理するために機能していた部分を、特別な視覚的インターフェイスに作り変えたのだ。
 つまりリテラシーとは、その言葉に連想するような、単なる読み書きの能力というものではない。人類の発明や制度、文化の急激な変化に、ヒトの機能がついていこうと進化し続けた痕跡のようなものなのだ。
 話し言葉のリテラシーも書き言葉のリテラシーも言語運用のリテラシーも、すべては社会的・知的な変革の結果として起きる。では、未来において脳が必要とするのはどんな形のリテラシーなのだろうか。その答えは「システム・リテラシー」だ。

システム・リテラシーとは何か

 システム・リテラシーには、思考モデルや数学、論理で考えることが含まれる。筆記用具や声を発する代わりに、ソフトウエアの読み書きのためにコンピューターが使われる。
 読み書きをする能力が会話をする能力と異なるように、システム・リテラシーとこれまでのいわゆる書き言葉のリテラシーは別物だ。書き言葉のリテラシーは絵や物語、つまり「実際に経験した物語」の生き生きした具体的な瞬間に基づいている。
 システム・リテラシーはそれらの物語を作り出す論理に関するものだ。起こりうる体験の条件付きネットワークであり、可能性、起こりうるもの全てに関するものなのだ。予言やシミュレーション、説明に関わるものと言ってもいい。
 この新しい思考方法のリテラシーを作るということには、既存の脳のハードウエアを採用し変容させ「改造」するという、読み書き能力の発達進化に似たプロセスが含まれる。そしてこのプロセスは、ゲームによって訓練され、発達すると考えられる。
 ゲームは常に、想定通りにことが進まないように対立関係を設定し、緊張状態を作ろうと設計されている。例えばこんな二項対立だ。決定論的なルール設定と、それをひっくり返すこともできるプレーの柔軟さ。記憶や計算の力で勝てるものと、想像力と直感の力で勝てるもの。熟考で戦略を練るものと、瞬発力で対応するもの──。
 これらの対立構造はすべて、システムに基礎を置く世界の根底にある力を反映している。周囲のあらゆるもの、のめちゃくちゃで有機的で驚くような特質が、単純なルールの機械的な運用から姿を現すのだ。

困難を生き延びるために欠かせないスキル

 システム・リテラシーとは「私たちが生きるこの複雑な世界を、よりうまく渡っていける力を与えてくれる能力」というものだ。私たちの人生の舞台は、複雑な側面を持ち合わせている。例えば相互のつながりがますます強まる世界であり、かすかな因果関係と驚くような結果であり、そして予知できないような二次的三次的な影響の世界だ。
 世界は常に複数のシステムから成り立っているが、情報の時代においてシステムは急速に増殖し、常に進化し変化する。それが私たちの生活に及ぼす影響のレベルは高まるばかりだ。
 50年前のニュース放送のことを考えてみよう。もちろん当時も、ニュースキャスターの男性が毎晩の放送で何を言うかを決める台本やスタイルはあった。しかし同時に、その台本やスタイルがどのようなものかを理解しなくとも、ニュースをぼうっと見ることは可能だった。
 ところがこのデジタルメディアの時代においては、ニュースを制作して送り出し、その取捨選択を行っているシステムを理解することは、難しいが重要な生活上のスキルだ。こうしたシステムの理解は、「メディア・リテラシー」として語られて久しい。
 同じことは私たちがこれからの時代に直面することになるすべての困難について言える。気候変動にどう対処するべきか?不平等を是正したいか?医療制度を改善したいか?ヒトに備わった本能や、これまでの伝統を使ってもそれはできないし、単純な物語や絵でも解決できない問題なのだ。
 こうした未来の問題に対処するために、私たちはこれまでにないリテラシーが必要になる。つまりは何万通りも存在する可能性の推測と、アルゴリズムの正確なロジックの両方を備えた思考方法だ。初期条件と帰還ループ、変数への感覚を理解する思考モードとも言える。世界を理解し、世界と対話するこの新たな方法は、数世紀にわたる長い未来、繁栄していくには欠かせないものとなるだろう。

長きにわたる未来のリテラシー

 こうした思考の方法、「未来のリテラシー」を獲得するのに、ゲームが役に立つのはこういうわけだ。
 ゲームで設定される対立構造は、これまで読み書きの能力で対処できたような「経験したことがあるもの」ではない。初めての格闘ゲームで敵をかわす時、難問の数学パズルゲームで倫理観を問われるような取捨選択をする時、新しいボードゲームの盤面を見つめて効果的な一手は何かを考えたりする時。未知の困難に取り組むとき、ヒトの脳は、経験ではなく可能性についての思考を繰り返す。これまでにない、思考の方法を獲得しているのだ。
 私たちはゲームに熱中して、その絶妙な設定にのめり込んでしまうこともある。または、その裏設定やシステムを入念に調べ、どのように機能しているのか理解しようとする。どんなゲームであれ、私たちはゲームを通してシステム・リテラシーのスキルを知らず知らずのうちに伸ばしているのだ。
 つまり、ゲームの一見不可解なポイントや理不尽なルールに取り組んで成果を得ようとするとき、新しいリテラシーを獲得しているのである。周囲のシステムがどう機能して私たちを取り囲む複雑な世界を生み出しているか、敏感になれるということだ。
 ヒトは進化や数々の成長と困難に立ち向かうことでリテラシーを獲得してきた。とすれば、未来には、私たちもまだ知らないリテラシーが必要に応じて発達してくることだろう。
 書き言葉のリテラシーの発達は、歴史と文化の成熟をもたらした。数々の発明や制度、伝統と革新も書き言葉によって構築されてきたのだ。状況に応じたリテラシーの発達というアップデートを重ね、私たちは世界とやりとりする方法を完全に変えてきた
 新時代のリテラシーが必要になっている今、未経験の困難に立ち向かう力はバーチャルの世界でも訓練することができる。ゲームをプレーする時、私たちは新しいタイプのリテラシー獲得の第一歩を踏み出しているのだ。
原文はこちら(英語)。
(執筆:Frank Lantzニューヨーク大学ゲームセンター長、翻訳:村井裕美、写真:martin-dm/iStock)
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This article was translated and edited by NewsPicks in conjunction with JEEP.