【古坂大魔王×松竹・迫本社長】歌舞伎発祥の南座から、日本のエンタメを革新する

2019/5/28
 歌舞伎発祥の地・京都四条に建つ、400年以上の歴史と伝統を持つ劇場「南座」。年末に行われる吉例顔見世興行で、「まねき」と呼ばれる看板が掲げられる様子は年の瀬のニュースでもおなじみだ。
2018年12月 吉例顔見世興行より(写真提供:松竹)
 1906年から松竹がこの「南座」の経営にあたり、大正期の改築を経て1929年に現在の姿へと建て替えを行った。そして昨年11月、約3年をかけた耐震補強のための大規模改修工事が完了し、新開場した。
 国の登録有形文化財にも指定されている外観はそのままに、内部は最新のエンタテインメントも発信できる施設へと変貌。場内の床が舞台と同じ高さになる「客席フルフラット化」という新機構も加わった。これを生かして今年5月には「京都ミライマツリ2019」と題し、“フェス”や“アトラクション”を彷彿させるイベントを開催した。
 きゃりーぱみゅぱみゅをはじめ様々なアーティストがライブを行う「音マツリ」、本物の水を使った滝に映像を映し出す“滝ジェクションマッピング”が楽しめる「昼マツリ」、昼マツリにDJを入れた「夜マツリ」という3部構成。「歌舞伎を見るための劇場」が、歌舞伎のファン層以外にも広く門戸を開いたといえる。
写真提供:松竹
 そこに秘められた、400年以上の歴史を持つ歌舞伎が未来へ生き残り、グローバルに展開するための戦略とは?
「PPAP(ペンパイナッポーアッポーペン)」を世界に発信したピコ太郎のプロデューサー・古坂大魔王氏を招き、京都・南座を運営する松竹の迫本淳一社長に、南座という劇場の目指すところ、歌舞伎という日本独自のコンテンツの未来を語ってもらった。

劇場という場所が持つ意味

── 南座リニューアルの狙いをお聞かせいただけますか?
迫本 南座の発祥は安土桃山時代、歌舞伎の始祖である出雲阿国の頃ではないかと言われています。松竹にとっても日本演劇界にとっても大きな伝統のある劇場です。ただ、伝統を伝統のまま守っていくだけではなにも広がりません。
 革新あってこそ、伝統は受け継がれていく。その土壌をつくるために、南座という劇場のハードルを下げようと思ったんです。
1953 年、東京都生まれ。慶應義塾大学経済学部、法学部卒業。不動産会社勤務を経て1993 年弁護士登録。1997年にはカリフォルニア大学ロサンゼルス校、ハーバード大学ロースクールで留学経験を積む。1998 年、松竹顧問に就任。副社長を経て2004 年5 月から現職。歌舞伎座をタワー化し、積極的に海外公演なども展開。不動産業にも力を入れ、松竹復活の立役者と呼ばれる。
古坂 これまで劇場に来たことのない人にも足を運んでもらいたい、南座の存在を知ってもらいたいということですね。
迫本 そう。おじいちゃん、おばあちゃんだけでなく、そのお孫さんにも来てもらいたい。今、歌舞伎のコアのファンの方々は「小さい頃になにかしら歌舞伎に触れている」っていうデータがあるんです。だから、まずは歌舞伎が上演されている劇場に来ていただきたい。
古坂 空間に馴染むって大事ですもんね。僕は劇場に入ると「これから、なにか面白いものが見られるんだな」ってわくわくするんです。
迫本 そこが劇場という場の強さですよね。その感覚を、すでにコアな歌舞伎ファンである方々だけでなく、若者や海外からの観光客の皆さんにも知っていただきたい。歌舞伎はもともと閉じられた芸能ではなく、河原で始まったオープンなエンタテインメントですから。
1973年生まれ。1991年お笑いトリオ「底ぬけAIR-LINE」でデビュー。テクノユニット「ノーボトム」などの活動を経て、お笑いのみならずアーティストとのコラボ・楽曲提供なども展開。2016年にプロデュースした「ピコ太郎」は『ペンパイナッポーアッポーペン』で大ブレイク。動画再生回数は1億を超え、楽曲は世界134か国で配信されている。
古坂 歌舞伎のような伝統芸能のハードルを下げて「誰でもウェルカム」にしようと決断できるのは素晴らしいですね。歴史があればあるほど、これまでに培ってきた伝統が損なわれるリスクを考えてしまうケースが多いと思います。
迫本 歌舞伎って、芸術性と大衆性が並存する芸能だと思うんです。もともと大衆文化であったものを、先人たちがブラッシュアップして芸術性を高めてきた。
 だから、古典を求めるお客様からの批判を覚悟してスーパー歌舞伎II(セカンド)『ワンピース』を上演した時も、ネガティブなリアクションは意外にありませんでした。

「伝統」を受け継ぐための「革新」

古坂 かつて、立川談志師匠が同じようなことをおっしゃっていました。落語も今では歴史のあるお笑いですが、落語界においていちばんダメなのは「新しいことをしようとして落語をぶっ壊すだけのヤツ」と「伝統を踏襲するだけのヤツ」。その両方をやらなきゃダメなんだと言うんですね。
迫本 いや、まったくそのとおりですよ。中村勘三郎さんも、生前に書き遺しています。能の言葉らしいんだけど「型があっての型破り」って。
 型は、きちんと継承してマスターしたうえで、それを破っていく。「そうじゃなきゃ、“型なし”になってしまう」って。
古坂 まさに昨日、NewsPicksの「The UPDATE」という番組でまったく同じ話をしましたよ。マンガコンテンツを歌舞伎にするのも型破りだと思いますし、ニコニコで観ていて「なんだ、これは!」って衝撃を受けたのが、初音ミクの「超歌舞伎」でした。
 僕、初音ミクは世界を変えると思っているんです。バーチャルだから声もかれないし、疲れも知らない。でも、あの楽曲や映像をつくっているクリエイターはみんな生身の人間で、平均年齢がめちゃくちゃ若いんです。それが今や、レディー・ガガのライブのオープニングを演っていますからね。
迫本 昨年ニコニコ動画の歌舞伎チャンネルで配信した超歌舞伎「積思花顔競(つもるおもいはなのかおみせ)」では、初音ミクの踊りは日本舞踊家の藤間勘十郎くんがモーションキャプチャーでやっているんです。SNSでも「初音ミクは踊りがうまくなった」なんて言われていて、勘十郎くんも笑っていました(笑)。
古坂 それはそうでしょう。本物中の本物の踊りなんですから(笑)。あれこそまさに、日本にしかない伝統と超革新が混ざり合った瞬間ですよね。一級のエンタメとして、世界に通用するポテンシャルを感じます。
迫本 それでも、全世界の老若男女に受け入れられたピコ太郎には及ばない(笑)。
 ロシアやフランスでも歌舞伎の公演を行いましたが、まだ日本の古典文化として理解されている感じがする。将来的には、歌舞伎を含めた日本の文化を世界各国にローカライズし、新しいエンタテインメントとして興行的にも成功させたいんです。
 ちなみにこの超歌舞伎、「八月南座超歌舞伎」として南座でも上演予定なんですよ。

なぜピコ太郎は、世界でウケたのか

── 実際、ピコ太郎が世界中でウケた要因は、なんだったんですか?
古坂 あれは世界を視野に入れて仕掛けたわけじゃなくて、ジャスティン・ビーバーがTwitterで推薦してくれたりと、ビッグラッキーが1万個、ドミノ倒しのように積み重なった結果なんですけど……日本と世界でのウケ方の違いは「言葉か、動きか」。これに尽きると思います。
 日本では、「ピコ太郎です」と出ていくとまず拍手があり、PPAPで「アッポーペン」と言うとドカッとウケる。
写真提供:エイベックス
迫本 海外では違うんですか?
古坂 フランス、ベルギー、スペインなど特にヨーロッパでは、爆音で音楽を流して踊り始めた瞬間にウワッと盛り上がるんです。
 後付けですが、自分なりにヒット要因を分析すると、ピコ太郎は「世界のどこにもなかったもの」ではあったと思うんですよね。それも、世の中の10歩先を行くのではなく、1歩半、2歩先をめちゃくちゃ洗練させて極める、みたいなスタンスで。
迫本 私の祖父(元松竹会長で映画プロデューサーの城戸四郎氏)は、「1歩前進、2歩前進すべからず」と言っていました。エンタメは時代の少し先を行かないといけないけれど、行き過ぎてしまってはいけない。その感覚は、よくわかります。
古坂 10歩先を行くことって、実は誰にでもできるんですよね。他人に理解できないものをつくればいいので。
 僕は、それこそ「傾奇者(かぶきもの)」って感じの人間が好きで、コントが流行れば音楽を入れたり、長いコントが流行るとあえて短いコントに挑戦したりと、ズレたことがやりたくなる性格なんです。でも、昔はそれがあまりにもぶっ飛び過ぎていて飯を食えない時代がありました。
 やっぱりエンタテインメントとしてちゃんと成立させないと意味がないと考えるようになったのが、30代の前半くらい。それから最先端の音楽を研究して音づくりに凝ったり、インターネットで流行り始めた1分くらいの動画に合わせてコンテンツを考えたりと、試行錯誤を始めました。
 ピコ太郎をジャスティン・ビーバーに教えたのはスクーター・ブラウンっていうプロデューサーなんですが、彼は音を気に入ってくれたと思うんです。細かい話ですが、ローランドの「TR-808」という1980年代のリズムマシンを使って、普通は使わないカウベルの音をスネアドラムの代わりにしていて……。
迫本 どういう音?
古坂 “ドゥップーン、ブンゲブンガブン、ガブンガドゥップーン、ドゥップーン”ってリズムです。一生懸命考えてつくった1.5歩先の音と、お笑いで培った真面目な「間」の取り方と、ふざけたピコ太郎の衣装が相まってスクーターさんに届いたんじゃないかなと(笑)。

論理を超える、日本の「間」

── 「間の取り方」を意識したことは、古坂さんの著書にも書かれていましたね。
古坂 そうなんです。日本のお笑いが持つ「間」って世界にないものだと思っていて。言葉ではうまく表現できませんが、「間」ってなんだろうってずーっと考えています。
迫本 「間」は、日本独自の文化ですよね。「1」「2」「3」ってロジカルにリズミカルに流れていくのではなく、「1」と「2」、「2」と「3」のあいだにそれぞれ余白がある。「論理を超えた間」は、歌舞伎の真髄でもあります。
 今度、ぜひピコ太郎さんも南座に出演してください。歌舞伎と共演して、その間を表現してもらいたい。
古坂 あの人が来るとガヤガヤしちゃいますけど、大丈夫ですか(笑)。
 ピコ太郎は、なるべく見た目を反社会的で怖く、でも実は礼儀正しいというふうにプロデュースしたんです。僕は芸術において「恐怖」、つまり「怖い」とか「驚いた」っていう感覚が重要だと思っているので。
迫本 確かに。そこにカルチャーショックがあるわけですよね。その恐怖や驚きを作品として伝えることができれば、歌舞伎のファン層も広がるかもしれない。
古坂 海外の方は、歌舞伎の隈取なんかをロジックでは理解できない日本独自のファッションとして受け入れている。その根っこには、「カワイイ」だけではなく、恐怖や畏怖といった要素もあるような気がします。成田空港で隈取をデザインしたお土産がバカ売れしているところを何度も見ましたもん(笑)。

南座から世界へ発信できること

迫本 古坂さんが、南座という舞台を1日使えるとしたら、どんなイベントをやりますか。
古坂 思いつきですけど、YouTuberに開放するかもしれないですね。あの劇場って、とにかく“映える”と思うんですね。
 イベントとして来てもらうだけでなく、その日だけは楽屋から舞台裏から全部開放して、「南座を、ご自由にどうぞ」ってDMを送る。インフルエンサー系のインスタグラマーとかYouTuberも、きっとびっくりすると思うんですよ。「え? 松竹から? 使っていいの?」って(笑)。
 それで、2〜3時間自由に使ってコンテンツを発信してもらって、そのあとみんなで歌舞伎を観る。
迫本 面白いなー。
古坂 絶対みんな歌舞伎のことを発信しますよ。「奈落(※1)の底に落ちてみた」とか「定年退職を花道(※2)で飾ってみた」なんてことができるのも歌舞伎の劇場ならでは。日本の、南座という場所でしかできない大喜利ができますから。
※1:舞台の床下部分。ここから“セリ”や“スッポン”と呼ばれる昇降装置で登場人物が舞台上に現れたりする。
※2:客席から見て舞台下手(左側)に設えられた舞台と同じ高さの通路。客席を縦断するようにつくられ、舞台の一部として機能する
 僕の今のスタンスは、どんな国であっても「敬意を込めて、なめてかかる」。その国を知り、文化を学ぶことは大切ですが、日本で培った芸の基礎や本質まで変えてしまっては意味がない。
 エッセンスが伝わるなら、海外でも日本語で演ればいいんです。そのうえで、字幕なりテロップなりで、わかってもらうための説明を尽くす。
迫本 おっしゃるとおりだと思います。私が弁護士として留学していた時代に「日本で歌舞伎関係の仕事をしている」と話すと、みんなすごく食いついてきました。一方で、どんなに外国のことに詳しくてもありがたがられない。海外にはシェイクスピアを知っている人はたくさんいるけれど、近松門左衛門のことは、日本人の方が知っているんです。
 今は古坂さんのところのピコ太郎が世界に出ていったように、ネットのインフラが整っている。それを前提として劇場やライブパフォーマンスのあり方を考え、論理を超えた日本の間と余白の文化を発信していく。それが、南座や歌舞伎の伝統を未来へ受け継ぐことにつながるのだと思います。
(取材・文:武田篤典[steam] 編集:宇野浩志、大高志帆 撮影:小池彩子)