【トップ直撃】バスケ改革の核心=「最強のガバナンス」構築

2019/5/18
2014年から2015年にかけて、国際資格の停止処分を受けるほど地の底に落ちた日本バスケットボールは、なぜ復活を果たすことができたのか。
簡潔に言えばFIBA(国際バスケットボール連盟)の“外圧”と改革者・川淵三郎の“豪腕”が大きかったが、興味深い続きがある。
男子日本代表が2019年ワールドカップ予選終盤に8連勝を飾って13年ぶりの本大会出場、来年の東京大会で44年ぶりのオリンピックへの切符を獲得し、さらに2016年に誕生したBリーグが市場拡大を進める裏には、「最強のガバナンス」があるのだ。
今年のBリーグファイナルには史上最多の1万2972人が詰めかけた(©B.LEAGUE)
スポーツの世界では洋の東西を問わず、「NF」(National Federation=中央競技団体。バスケで言えば、日本バスケットボール協会)と「リーグ」(同Bリーグ)の利害が相反し、対立する傾向にあるが、日本バスケは世界でも類のない組織体制を作った。
NFとリーグが手を組み、「B.MARKETING株式会社」(通称Bマーケ)を設立。JBA(日本バスケットボール協会)とBリーグが保有する各バスケコンテンツを集約し、価値や収益を最大化するための会社だ。公益法人であるJBAとBリーグは文字通り、公益事業に特化する。
また、日本バスケ界の人事や総務、経理など管理系の仕事を担う「バスケットボール・コーポレーション株式会社」(通称Bコーポ)を設立。JBAやBリーグの社員はBコーポに転籍し、“オールバスケットボール”の観点でバスケ界の組織強化と業務の効率化、人材の流動化を図っていく。
こうした新しい組織体制を作る上で、キーマンとなったのがJBAの三屋裕子会長だ。
(写真:是枝右恭)
元バレーボール女子日本代表選手で1984年ロサンゼルス五輪では銅メダル獲得、現役引退後は高校教諭や衣料商社社長、Jリーグ理事などを歴任し、ビジネスとスポーツの両面に精通している。
「(組織の未来にとって大事なのは)変えなければいけないことと、守るべきものの見極めを、しっかり覚悟を決めてできるか」
過去をどう整理し、未来への成長戦略をいかに描くか。日本バスケを成功に導く「最強のガバナンス」は、あらゆる組織人にとってヒントに満ちているはずだ。

変えるべきもの、守るべきこと

──4年前まで2リーグに分裂し、FIBAから国際試合の出場停止処分を受けた日本バスケが復活することができたのは、FIBAによる“外圧”と川淵三郎さんの“豪腕”があったからだと世間では思われているように感じます。でも、変われた理由はそれだけなのでしょうか。
三屋 もちろんFIBAからの処分がなかったら、今のバスケ界はないと思います。日本バスケにとって非常に屈辱的な出来事でしたが、そのおかげでFIBAの人たちとすごくコミュニケーションをとれました。
FIBAのモニタリングということで年に2、3回コミュニケーションをとらせていただいて、彼らの考えていること、我々が思っていることをすごくストレートに話し合うことができました。モニタリングを受けているこの3年間は、むしろプラスだったと思っています。
日本バスケ改革の「タスクフォース」で川淵さんが既存の組織を1回壊してBリーグという新しい組織を作り、チェアマンの大河正明を中心に規約などを作り上げたのはバスケ界の再建の裏に確かにあります。
私のイメージからすると、川淵さんは「開拓者」。
日本バスケットボール協会の会長として川淵さんの後を継いだときに思ったのは、川淵さんが大きな道を拓いてくれたけれど、「小さな課題は山積みよ」という状況でした。
確かに向こうまで道を見渡せるようになったけれど、今度は私が丁寧に整理しないといけない。道は開いたけど、まだまだならしていく必要がいっぱいありました。
でも、1個ずつならしていると時間が足りないので、必要な部分を「せーの」で一気に進めることに挑戦しました。
──「FIBAに処分を受けたので日本バスケをイチから作り直します」と言っても、「バレーやサッカーから来た人間が、バスケの何がわかるのか」と変化を拒む人もいたと想像します。そうした人材の入れ替えも含め、組織の意識改革をどう行いましたか。
守らないといけないのは、過去の実績ではないと私たちは思っています。私たちに大事なのは、これからどうするか。
過去をいくら拝んでも、そこから得られるものはそんなにありません。
もちろん過去の実績に対して、感謝するべきです。過去があったから今があると思いますが、そこにとらわれてはいけない。
これは私の出身のバレーの話だからあえて言いますが、「日本はオリンピックで金メダルをとってきた。昔の選手は今の選手と違い、もっと練習した」といくら唱えても、「意味ありますか?」と私は思うんです。
確かに(1972年ミュンヘン五輪で)金メダルをとった方々を私は尊敬しているし、当時の練習は感動すら覚えるくらい、本当に一生懸命おやりになっていました。
それはまったく否定するものではありませんが、踏襲しようとは思わない。昔の練習をやっても、これから金メダルをとるなんて絶対にあり得ないですから。
三屋裕子/日本バスケットボール協会会長。1958年福井県生まれ。バレーボール日本代表として1984年ロサンゼルス五輪で銅メダル。現役引退後は國學院高校教諭、衣料商社社長、Jリーグ理事、日本バレーボール協会理事などを経て、2015年日本バスケットボール協会副会長に。同年6月から現職。国際バスケットボール連盟理事も務める(写真:是枝右恭)
よく、「変えなければいけないところと、変えてはいけないところ」があると言われますよね。
例えば今、自動車業界は大きく変わっています。自動運転の自動車にエンジンもトランスミッションも必要なくなるとすると、今まで自動車産業を支えてきたコア技術がまったくいらなくなるという、産業革命に近いことが起こるかもしれません。
そうすると、「自動車業界って何を守るの?」というところが勝ち組と負け組の差になると思います。
消えてしまったフィルムメーカーと、残ったフィルムメーカーで何が違うか。コアコンピタンスのように本当に大事なところを、履き違えたところと守ったところの差だと思います。
「一番大事なところは何?」という部分の見極めを間違えてしまうと、置いてきぼりを食ってしまうのではないかな、と。ただし、その見極めができたかどうかは結果論になると思います。
でも、変わるべきところと守らなければいけないところの見極めを、しっかり覚悟を決めてできるか。バスケはそこの意識統一がうまく行ったのかもしれません。