「目的」と「手段」をはき違えたっていいじゃないか
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「直感と論理をつなぐ思考」を通じた対話シリーズ、尾原さんとの第三弾は、外部ニーズから作るというOutside-Inから、内発的な妄想から始めるInside-Outへの変化と意味のイノベーションとのつながりのお話です。
プロダクトにしても、以前ならモノそのものに価値があったわけですが、いまでは、消費者が「私にとってはこういう意味だ」と自分を投影する媒介になっていて、価値づけは人のほうで行われる。
つまりプロダクトがメディアのような役割を持ちはじめています。だから、つくり手の側でも、いろいろな解釈の余地を残すようなプロダクトを生んでいくことが大事になるのかなと思っています。記事の主旨とは違うかもしれませんが、今ほど方法論が求められているタイミングも無い気がここ数年感じています。しかも天下りの方法ではなく、方法自体を自ら模索する必要性を感じます。
目的論はソクラテス以来西欧哲学で神秘的な捉えられ方をしてきて、ヘーゲルに至ってはニュートンを帰納法の愚物とまでこき下ろしてますが、何か原理主義的な一神教的な目的志向を押し付けているように思えます。
しかし現在はグローバルなロジカル思考という強弁や詭弁が跋扈して、元々日本人には馴染まない中、借り物コンサルタントのロジックとマウンティングで日本人が日本人の足を引っ張るような傾向にある気がします。
ブリコラージュ的に大量の情報を組み合わせてやってみることで、カントのような新しい方法論を模索するタイミングなのかもしれませんが、何故かブラックボックスなAIを担ごうとする動きも有り、建設的な議論とサンドボックスが日本で益々無くなっている現状に、イノベーションやノーベル賞なんて目指しているように全く見えず。個人的にではありますが、
この考え方、プロダクト以外にも
仕事観とか物事の考え方に落とし込むと凄く
納得いく。
以前、箕輪さんが仕事に関して、
仕事の意味を再定義できるやつが強いって
言ってたけど、
その部分をうまく解説していくれている記事だなと
思いました。