【起死回生ストーリー】危機から一転、V字成長につながったあの経営判断

2019/5/23
ビジネスの現場で大きな決断を迫られる場面を経験したことが、誰にでもあるだろう。事業責任者や経営者であればその決断の影響力は大きく、より強い覚悟が必要になる。

企業向けのソフトやクラウドを開発・販売するサイボウズ。同社トップ、青野慶久の社長在職期間で最も大きいと言っても過言ではない決断があった。それがクラウドへのシフト、サブスクリプションモデルへの転換だ。

業績低迷の中で決断した起死回生のクラウドシフト、その裏側にはどんな「社長の決断」があったのか。青野社長、そしてクラウドシフト戦略を支えた2人のエンジニアの声から紐解く。
Who is サイボウズ?
「決断」の背景
サイボウズは青野社長(創業時は副社長)を含む3人によって愛媛県松山市で1997年に設立された。企業・団体の情報共有やコミュニケーションを活性化するための「グループウェア」といわれるソフトウェア開発・販売からスタートした。
類似機能を持つソフトは外資系ソフトが多かった中、日本人に合うユーザーインターフェイスで勝負し、中小企業を中心に評価され、ユーザー数は急増。2000年には東京証券取引所マザーズに上場した。その後、関連製品を複数投入、海外進出、M&Aなど業容拡大して2006年に東証一部に市場変えした。
しかし、ターゲットとしていた層のグループウェア市場が頭打ちになり2008年をピークに業績は低迷。子会社の売却を進めたため年商は激減、利益は横ばいが続いた。
業績のV字回復のきっかけになったのが、2011年のクラウドサービス「cybozu.com」の投入。
それまでソフトを売り切り型モデル(ライセンスモデル)でだけで提供していた中、自社のクラウド環境からサービスとしてソフトの機能を提供、月額課金型で提供するモデル(サブスクリプションモデル)を新たにスタートさせた。
2014年度には得た利益のすべてをクラウドに投資するという「利益ゼロ」戦略、さらに2015年度は投資を進めて敢えての「赤字化」を実行。これまでアプローチできていなかった層の顧客獲得に成功し、業績は回復。2018年度は過去最高利益を記録し、今年度(2019年度12月期)は売り上げも創業以来過去最高になる見通しだ。

10年前、潜んでいた経営危機

──業績の低迷期をクラウドへのシフトという「決断」によって抜け出し、今年度は過去最高売り上げをたたき出す見通しです。まずは決断に至った背景を振り返っていただけますか。
青野 あそこで決めてなかったら、今のサイボウズはない。潰れていたかもしれません。それくらい大きな経営判断でした。その経営判断とは、クラウドへのシフトでした。
 サイボウズは、2011年に「cybozu.com」というブランド名でクラウドサービスを開始。ビジネスモデルでいえば、ライセンス販売という「売り切りモデル」から、クラウドサービスという従量課金型の「サブスクリプションモデル」へと舵を切ったわけですけれど、その時は、グループウェアの売り上げが横ばいの状況にありました。
 背景にあるのは、ターゲットにしているユーザー層に対してアプローチし尽くした感が如実に出始めたこと。そして、GoogleやMicrosoftといったグローバルITの巨人たちが、続々と類似機能を持つソフトウェアをクラウドで提供し始めたこと。
 内的にも外的にも大きな脅威にさらされていて、今から10年ほど前の2000年代後半は、大きな危機に直面していました。
──「クラウドシフト」「サブスクリプションへの転換」というこの決断は、いつから考えていたのでしょうか。
青野 結構前から考えていました。サーバー管理や運用がほぼ不要で、いつでもどこでも端末を選ばず、最新バージョンを利用できるクラウドはメリットが多く、いつか必ず来るだろう、と。
 そこで、クラウドの前身モデルとも言える、ネットワークを通じてソフトの機能を従量課金型で提供する「ASP(Application Service Provider)」という形式で、15年前の2004年に情報共有ツールをリリースしたんです。
 しかし、まだコンピュータやネットワークのリソースが高価だったこと、新たなサービスモデルにユーザーが及び腰になっていたことなど、さまざまな要因が重なり、大きな成果は出せませんでした。
 とはいえ、クラウドの時代は必ず来ると確信していましたから、エンジニアには継続的に調査・研究に力を注いでもらい、2010年初頭にプロジェクトチームを発足させ、本格的に動き出しました。
──15年もの間、研究を重ね、一度は失敗している。それにも関わらず、そのタイミングで決断できた理由は何だったのでしょうか。
青野 開発本部長やCTOを歴任した執行役員の山本(泰宇)さんには、その当時、長期的な目線での技術研究を担ってもらっていて、私の決断を強力にサポートしてくれていました。
 サーバーやメモリの価格が下がってきて、クラウドを提供するためのハードのインフラ投資がある程度見えてきたこと、そして、山本さんが主軸になって進めていたクラウドに必要なソフトウェア技術が洗練されていたことが大きかったでしょう。
山本 あの頃は、少し遠い将来のビジネスに向けて、調査・研究する仕事に従事していて、クラウドへのシフトは必然の流れだと思っていましたから、大きなテーマでした。私はクラウドサービスの立ち上げを2010年のプロジェクト開始のもっと前から提言していたので、正直に言えば、「やっと、社長が動いてくれた」という感じでした(笑)。
岡田 私は主力のグループウェアである「サイボウズ Office」のエンジニアだったのですが、あの頃はライセンス販売が伸びない状況が続いていました。
 ライセンス型ソフトのグループウェア市場はパイを取り合う状況で過当競争に入っていたので、目標もフラットをキープできるかどうかのレベル。売り上げの先行きが不安な一方で、社員は増加傾向で固定費は増えていく。このタイミングで、クラウドで他社にやられたら、赤字になるという危機感がエンジニアの立場でも強く感じていました。
 私は、このプロジェクトにおいてアプリケーション開発に携わっていましたが、未来の長期的なビジネスの柱を創るという意気込みで取り組んでいたのを覚えています。
サイボウズ 岡田勇樹 (モニター映像内)

「変わらない」ことのほうがリスク

──クラウドへのシフトは、物売りからサービスモデルへの転換であり、売り上げの立ち方、つまりお金の入り方が変わります。ライセンス販売とのカニバリゼーションも起きかねない。ビジネスモデルの転換に躊躇する気持ちはありませんでしたか。
青野 むしろ、クラウドに転換しないことのほうが怖いことだと思っていました。なので、山本さんにとっては遅かったかもしれませんが(笑)、やると決めたら、もう不退転の覚悟。一気呵成に進めました。
 たとえば、サービスを開始して2年後の2014年度には、クラウドを一気に伸ばすために、稼いだお金はすべて投資に回す「利益ゼロ計画」を打ち出しました。この時は慎重になって利益を残すよりも将来を見据えて一気にお金を使う時期だと判断したからです。
 こんなことを言ったら、株主も不安に思うでしょうから、株主への配当の仕組みも変更しました。それまでは利益と連動させて配当金額を決めていましたが、利益ゼロなら配当もゼロになります。
 そこで、配当金額はクラウドサービスの売り上げに連動させるよう変更しました。「サイボウズは今クラウドに懸けているので、クラウド事業を見て欲しい、応援してください」というメッセージです。
 サイボウズ Officeはライセンスモデルとクラウドの両方を展開するので、カニバリゼーションを起こすリスクもありましたが、結果的に、ライセンスの売り上げはほとんど減らず、クラウド版の新規利用が増えました。これまでアプローチできなかった層のお客様を獲得できたのです。
 私はサイボウズの創業からグループウェアの販売に関わっていますが、あの手この手を使って、やり尽くしたつもりでした。これ以上の市場は開拓できないと思っていたのに、正直に言って、立ち上がりの早さは私の予想以上でした。

プロジェクト中に起きた「ピボット」

──開発側からみてプロジェクトが始動して「cybozu.com」がリリースするまでの約2年、順調でしたか。
山本 いや、そんなことはありません。大きな「ピボット」(転換)があったんです。
 プロジェクトは当初、その当時、新プロダクトの「kintone」というクラウドサービスだけをリリースするつもりでした。主力のグループウェア サイボウズ Officeのクラウド版はそのときはリリースしない予定でした。
 しかし、「サイボウズといえばグループウェアだよね」「サイボウズ Officeだよね」というブランドが確立している中で、サイボウズ Officeのクラウド版がなければお客様をしらけさせてしまうし、話題性もない。結局、サイボウズは、主力製品はクラウド化しないから、本気じゃないとも思われてしまう。
 加えて、もし二つを別々にした場合には、将来的にお客さまがサイボウズ Officeとkintoneの両方を使うことになればユーザーを二重管理することになり、快適なサービスを提供できません。
岡田 サイボウズ Officeのクラウド化で、ソフトウェアの設計などを担当したのですが、それまで考えたことのない領域で分からないことも多くチャレンジが続きました。途中からはkintoneとの統合も進めたのですが、特にデータの持ち方が全然異なっていて、文字コードの違いから使えない文字も出てきてしまうなど、苦労したものです。
青野 統合しようとした時点では、サイボウズ Officeのクラウド版は当面出せないと覚悟していましたが、開発スケジュールを遅らせながらも粘って統合しておいて本当に良かった。
 バラバラで出していたら、そもそもクラウド事業が立ち上がらなかった可能性が高い。kintoneは今でこそユーザー数を大きく伸ばしていますが、最初の2年間は鳴かず飛ばずの状況でしたから。

システム設計・運用に必要な3つの大原則

──インフラ面で苦心したのは、何だったのでしょうか。
山本 そもそもなんですが、インフラに精通したエンジニアが当時は皆無だったのが、一番苦労した点ですね。
 アプリケーション開発の会社なので、Webアプリケーションの経験者はいても、サーバサイドに詳しい者が社内にいなくて………。仕方ないので、自分がやるしかない。ハードウェアを買ってきて、マニュアル読みながら設定を始めるところからで、それは大変でした。
 リリース後の大規模障害もありました。2012年のことですが、「うるう秒」の情報を受け取るとシステムが停止する不具合によって、断続的にサービスが使用できなくなりました。対外的に発表する経験も少なくて、パニックでしたね。
大規模障害のプレスリリースを見て当時を振り返る青野社長(プレスリリースはこちら
山本 ご迷惑を掛けましたが、幸いにも販売に関して大きなインパクトはありませんでした。本当に信用が失墜するのは、データが漏れたり消えてしまったりすることです。
 その点は十分認識していましたので、情報セキュリティに関する認証も事前に取得するなど、万全の体制でリリースに臨みましたし、現在までに事故は起きていません。その結果、これまで伸びて来ることができたと考えています。
岡田 実はクラウド化前のオンプレミスでは、ときどきデータベースのトラブルが起きていて、その都度エンジニアが修復にあたっていました。オンプレでは何とか対処できても、クラウドでの運用では許されない。オンプレからの移行では、クラウドにおいては致命傷となる箇所を洗い出して、リリース前にしっかり対応しておくことが大事です。
山本 それから、インシデントを前提に運用を考え、迅速なリカバリで被害が深刻化しないようにすることが大事です。この点は最初からポリシーを持っていて、「人はミスをする」「ハードウェアは壊れる」「ソフトウェアにはバグがある」という当たり前の大原則を織り込み済みで運用しています。だからオペレーターがミスをしても本人を責めず、体制や管理者の問題を究明するのです。

クラウドの基盤、データセンターはこう選ぶ

山本 そうした意味で、クラウドのもとになるデータセンター選びは、クラウドを提供する企業にとってとても重要です。まずはセキュリティ強度の高さは大前提で、そして、その次に大事なポイントは拡張性です。
 cybozu.comは、おかげさまでユーザーがあっという間に伸びて、借りていたデータセンターのスペースが手狭になったため、同じ施設内で設備を増強したかったのですが、もう空きがありませんでした。
 そこで別の施設に追加して、データセンター間をつないで拡張しようと考えたのですが、そのような運用には対応していないと言われてしまい……。余計な仕事を増やさず、できるだけそのまま拡張したかったのに、別の事業者に引っ越しせざるを得ませんでした。
 クラウドは、どの程度スケールするか、いつのタイミングで伸びるのか予測通りに行くとは限りません。将来の成長に備えて最初から広いスペースを借りてもムダになってしまうし、少なすぎたらユーザー数の増加に応えられず、ビジネスチャンスを逃してしまう。
 データセンターでは、違う場所にあるデータセンターでも容易につなぐことができるケイパビリティがあることはとても重要です。
青野 アメリカはこれからAmazon Web Servicesでkintoneを提供していきます。新しい地域に出て行くとき、先行きが不透明なのにデータセンターで構えるのはリスクが高いので、AWSで小さく始めて、お客さまが増えたらデータセンターに移してコストを下げる流れが理想的です。
こうした時に他社のクラウドインフラと柔軟に接続できることも非常に大きなポイントです。グローバルを視野に入れたクラウドサービスを立ち上げるのなら、海外進出のサポートも意識した拡張性も重要な観点だと思います。
山本 クラウド開始直後から将来的な需要予測を完璧にすることはできない。それは身をもって感じています。ですから、クラウドを立ち上げる際は、一気にユーザーが増えてもそれに耐えられるだけの拡張性を社内でも社外のパートナーにも意識しておくことが必要です。
(取材・編集:木村剛士 構成:加藤学宏 撮影:森カズシゲ デザイン:九喜洋介)