自分の間違いを認めるのが難しい理由は、脳内物質にあった
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注目のコメント
ソクラテスの時代から2500年経っても、「無知の知」を自覚する事はとても難しいですね。人間の本質だろうけど、ふとした時に思い出せるよう…自戒を込めて。
バイアスは絶対に無くせないし、万事全ての事象に証明を求めるなら、もう哲学者として生きるしかない。
なもんで、記事の最後にある「知性の高さを証明」するなんて考えがバイアスとなる。ゆっくり向き合いながら、無知ゆえの学びを楽しめればそれだけでお腹いっぱい。
ついでに周りの人に良い影響を生み出せる人間になれたらなぁ…自分がファクトを求める理由なんてそれぐらい。生きているなかで積み上げられていったデータは
年月が経つほど自分にとって確かなものになって行く。
たとえば年配の人ほど頑固になりやすいとされるのは
自分の中の経験に基づく仮説が長い間
覆らなかったからだろう。
(年配の人ほど頑固だ、というのもまた
私たち若者のなかにあるバイアスである)
個人がそれぞれのバイアスを自覚すること
そして「自分はもしかしたら何も知らないのかもしれない」
という態度をとることで
私たちの知識量や情報処理のスピード、質は上がってゆくだろう。確証バイアスは本当に厄介なものだと思います。
データ自体は正確でもそれを捉える人間にバイアスがかかると、一気に信憑性が失われてしまいます。それは、自分の主義主張の正しさを証明するためにデータを利用しているとも言えるでしょう。
しかしこれは人間なら誰にでも起こりうることなので、自分も含めて気をつけなければなりません。定期的に自身の考えを客観視する習慣を身につけたり、様々な人の考えに触れる機会が必要なのだと思います。