学芸員は名前が出せない? 美術館の(奇妙な)現状を探る
コメント
注目のコメント
あなたの会社は事業やプロジェクトの担当者名を出していますか?
こちらの記事(ツイッターで情報集めただけの雑な内容だが、「キュレーションメディア」のパロディかもしれない)にある「学芸員は名前を公にするべきか?」というのは、しばしば議論されるテーマ。
学芸員=研究者という認知の問題はおそらくやや的外れで、研究者同士は図録の奥付を見て担当者名を把握しています。それでも公に向けてこれが議論になり得るのは、「担当学芸員」という肩書に負わされた「A.(外的な)期待」、「B.(実際の)現実」、「C.(本人の)理想」という3つのギャップによると思います。
展覧会という華やかなイベントを担当する学芸員に寄せられる「A.期待」は、映画でいう「監督」に近いかもしれないけど、(B)実際のところ日本の学芸員の仕事は「助監督」のようにスタッフのお弁当を手配したり、大道具のセットが撮影に間に合わなくてハラハラするという具合です。ちなみに監督はいません。(C)これを本人がどう考えるかも問題で、自己顕示欲の強い人は名前を出したがると思うけど、おそらく多くの学芸員は「いや、別にいいです…」と答えるはず(少なくとも私はそうです)。
B.国公立でも私立でも展覧会は個人の力できるわけもなく、組織としてのプロダクトなのだから担当者名を華々しくは出さないことに不思議は無いです[例えば、橋を架ける工事担当者の名前のように]。
けれど、現代美術のように担当学芸員がキュレーターとして作家とディスカッションを重ねて構築していく展示の場合には、責任者として名前を出す必要があるはず。ただその場合は、もっとたくさんの関係者の名前も出すべき。この関係は緩やかにグループを編成する「バンド」に似ているという話をしたことがあって、これはけっこう核心を付いていました。責任の所在としての名前。
もし、あなたが(A)学芸員の名前を出して欲しいと望むひとりだったり、もしくは(C)学芸員として自分の名前を出して欲しいと望むならば、何よりその責任を個人名に負わせる/自分が背負う意味を考えなくてはならないです。学芸員は研究者。「研究者」とは何かに詳しい人間ではなく「その知識と説明に責任を持つ人間」なのだから。
でもこれは、おそらく美術館や専門職だけの(奇妙な)現状ではなく、あらゆる事業に関わる問題なのではないでしょうか?改めて考えてみると美術館学芸員は、作品の保護や鑑定に精通した職人で、新しい視点を示して論評する研究者で、色んな切り口の企画を考えて展覧会場のレイアウトも行うアーティスト。
名前が載っていて少なくとも邪魔になるものではないし、プロフェッショナルな仕事をしている方を前面に押し出していくのに賛成です。