日本では「美学」を大切にしすぎるんですよね──「勝つこと」もいい組織に必要な条件
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美学=自己評価、結果=他人からの評価、だと思います。
何事も「結果」を追い求めていくことで、自分の大切な「美学」を守れますし、より美しいものとして、他人からも評価されるのではないかと思います。
結果がでているからこそ「美学」として存在できていると思います。
注目のコメント
W杯に負けたあとザッケローニから「お前が言っていたことはわかった。でもな、まさかW杯で死に物狂いで戦わないやつがいると思うか?」と言われたんです。
「俺たちのサッカー」が大事なのはいいけど、死に物狂いで勝たないといけないんですよ。「俺たちのサッカー」には、口にはしていない「だから負けてもしょうがない」という言い訳がついている。
いいチームは、当然美学やポリシーをもっていないといけない。しかし同時に結果も出さないといけないんです。
どっちかなら誰だってできる。なので、両方を追ってはじめて「いいチーム」といえるのかな、と。「美学」と「結果」
両方求めてこそですよね。
結果が出ててもモラルに反していれば支持されませんが、
源義経や真田幸村というか、散り際の美学と言うんですかね、この感覚日本人好きなんだなと改めて感じました。
桜とかも近いかもですね。
やはり「美学」と「結果」のバランスですね。それぞれに「美学」定義はあるでしょうけど「美学」が「仲がいい」では困るんですよね。
また「しっかりとリーダーが管理統率している、組織の美学」ってのも必ずしもいいとは言えません。
「勝つ為にどうするか?」が軸にあって、そこにみんなが主体的に取り組むなかでチームが形作られ、実績が上がって組織やチームの美学が生まれるんだけど、問題はそれから。
そのチームを潰せる奴を受け入れられない限り、「俺たちは個々が主体的に取り組んで今のチームを作った」と言う自己満足に似た美学止まりです。
ある到達点に来た時に人は確実に守りに入ります。「これまで」を大切にしてしまう、成功体験に縛られるパターンです。
そしてそれを否定する奴が現れたら、「乱す奴」「これまでの事を知らない」と除外し始める。
こんな風に、上手くやってきた人たちの間だけで語られる美学ほど危うくまずいものはありません。
利他の精神というのは理念のレベルですから浸透することは何ら否定するものではありません。むしろ勝つ組織の為に必要な人間関係づくりに必須要素だと思います。