面白すぎる「授業」は、なぜ宗教に見えるのか
note(ノート)
35Picks
コメント
注目のコメント
「宗教」を否定的な意味の言葉として,安易に使うのはハイリスクです.
「宗教」が何十億人の人間を幸せに導いているか,僅かでも想像を馳せてから「宗教」と言う日本語を使うべきかと.
「無宗教」とか気軽に口にしますけど,それが,信仰を人生の基盤として生きる人にとって,どれだけの恐怖と軽蔑なのか想像した方が良い.学校で習うことを先取りしていく勉強法よりは、実施されている、通常、高校で学ばないことに触れられる勉強はいいなぁ〜と思う。
でもね、やっぱり継続することが大事であって、少なくとも、継続が難しい生徒がいることは想像できるような。
塾というのは子どもたちのためであってほしいが、結局は高額な授業料を払ってもらう、保護者の顔色を伺いながらしているようなね。
子どもたちのための教育を私自身も探究していきたい。まぁ、一部の人は「冷めた目で宗教かよと呟く教」信者だからなー。ある意味ではその人たちも好奇心の対象なんだけど、それを言うと「好奇の目で人を見るなんて差別だ」と叫ぶ教の信者に怒られるしなぁ。
もちろん好奇心だから何しても良い訳じゃないし、それこそ爆発物作ったり下着を盗むヤツもいる訳だけど…何が言いたいかって、好奇心なんて根源的欲求なんだから、防ぐ事も出来ないし思っ切り活かす仕組み作るのが一番健全なんじゃないの?って話で。
たぶん僕の場合、世の中のモノゴトに対して一切の興味関心を失ったら生きてけないと思うのです。切実。
【追記】皮肉のつもりで書きましたが、歴史ある宗教を否定する意図全くありませんm(_ _)m