「書く」ことでリーダーの辛さを克服したローマ皇帝 世界のリーダーたちが座右の書としてきた『自省録』
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注目のコメント
この記事読んで、自省録欲しくなりました^_^
哲学は人が思い悩んだ時に抽象度が高い考え方で解決に導く足掛かりをくれる。
現実では原因がわからない問題の連続で、それらの問題を一つ一つ解決しようとするが本当に正解かなんて誰にも分からないことが多い。
だから結局、確からしさを如何に仲間から合意形成を取り、最適解に近づけるかの連続だ。
そしてふと思う。
「本当にこの決断してよかったのかな?本当にこれでよかったのかな?」と。
自分が考えていることが正しいのかどうかは自分にしか決められないが、その考えを正しい方へ軌道修正するために哲学という学術があると思う。
勘違いして欲しくないのは、誰かの成功体験にすがりたいのではなくて、誰かに一言「大丈夫だよ」と後押しをして欲しいのだと思う。古代ギリシアの皇帝であり哲学者のマルクス・アウレリウスは、皇帝としての苦悩や葛藤を「書く」ことで整理していたようです。長い年月を風雪に晒されながら尚、今も多くのリーダーがバイブルにする「自省録」のエッセンスとは。
最後のページにある、「マルクス・アウレリウス没後のことだが、帝位を継いだ長男のコンモドゥス帝が暴君となってしまった」という記述に興味を引かれた。
「貞観政要」で有名な唐の太宗は、息子たちがそろいもそろって不出来なのを嘆き、自死しようとするほど悩んだという。
またオーストリアの女帝マリア・テレジアは、良識ある暖かな家庭を目指しながら、息子が堕落した性関係を持ったことにショックを受けたそうだ。
歴史に偉大な名を刻む名君たちですら、息子の教育だけはどうにもならないのか。
逆に言えば、世襲によって優れたリーダーを輩出し続けるのは、ほぼ奇跡だということなのかもしれない。
徳川家康の真の偉大さは、たとえ将軍が凡庸であっても暗愚であっても、幕府が機能するような仕組みを築いたことなのかもしれない、と思った。