バフェット氏、大半の新聞は生き残れないだろう-広告減少で
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注目のコメント
昨日の孫さんのビットコイン損失の報道、日本メディアも結構追いかけましたが、新聞や通信社はちゃんとソフトバンクに裏とりしてる一方、ウェブメディアはまるっと引用が多いです。
一次ソースに当たるという役割はなお新聞が果たしており、新聞つぶれる前にこのDNA が次のメディアに引き継がれるべきではあると感じます。じゃないと、世の中、ソース不明、引用だらけの複製記事が氾濫する。広く言えば情報革命によるメディア・情報産業の水平分業が進む時代になり、各社自分のポジショニングを再度見直す必要性が生じているという事だと思います。
広告なのかサブスクなのかはその後の話。
正確に言えば、過去のようにメディア一体型は難しくなり、IT企業やかなり強固なユーザーを抱える企業以外は「コンテンツ作成/編集」企業、もしくはその関連企業として生きていくか、なくなっていく可能性が高い。
「コンテンツ作成/編集」企業としても、各種新しいテクノロジーを使いこなす小規模企業との競争に晒される。ちょっと論点のずれた話をしたい。
新聞社をはじめとする古い業態の企業が生き残れないのは仕方ない。
でも新聞社って日本においては単にマスメディア以上の役割を負っていると思っていて。
映画や舞台、企画展、各種イベントのスポンサーは新聞社やテレビ局であることが多い。
エンタメに振った奴ならキラキラ企業がスポンサーやってるけど、科学や文化深掘り系のものはとくに、新聞社がいないと成り立たないものがたくさん出てくるんじゃないかなあ。
たとえば僕の出身地である福岡では、大濠花火大会という大きな花火大会が西日本新聞主催で行われていた。
しかし、観客マナーの悪化や管理体制の難しさを理由に昨年を最後として終了した。
ただこれはおそらく、莫大な出費のかかる花火大会をやめるための口実で、西日本新聞社には花火大会をやることで十分なバックを得られる構造がなく、地域のイベントを行う体力もなくなってきているのだと思われる。
かつて新聞社やテレビ局が担ってきた役割を代替する企業か、もしくは費用回収の仕組みを新しく作っていかないと、祭りも花火も企画展もまちにやってこなくなってしまうのではないだろうか。