投資ファンド・インテグラルの代表取締役に加えて、スカイマーク代表取締役会長や京都大学大学院総合生存学館特任教授、一橋大学大学院経営管理研究科客員教授といくつもの顔を持つ佐山展生(のぶお)氏。
 これまで投資ファンドのユニゾン・キャピタルやM&AアドバイザリーGCAなどを設立し、巨額の資金が動く大規模な買収案件をいくつも経験してきた同氏にとって、お金とは一体どんな存在なのだろうか。

セゾンカードのリボ払いには、何度もお世話になりました(笑)

──今日は若い頃のお金の使い方について、お話を伺えればと思います。
佐山 若い頃、余りお金に興味はありませんでした。大学を出て帝人へ入ったんですが、サラリーマンの給料はそんなに余裕はなく貯まらなかったし、高級車とか旅行とか、同世代が使いたがることがらにお金を使うこともありませんでした。
 30歳でサラリーマンが向いていないと気づいていろんな進路を考えていたときに、民法の本を読んで法律のおもしろさを知りました。それで、司法試験の通信教育を始めたんですが、受講料がけっこう高くて。若い自分に使ったお金と言えば、それぐらいですね。
──なぜサラリーマンが向いていないと思ったのでしょうか。
佐山 そもそも、頑張って結果を出したからといって、必ずしも社長まで昇進するわけではないし、そのような不安定な昇進昇格を目標にした人生にしたくないなと。ただ、当時は「中途採用」なんて大手はほとんどやっていない時代です。転職という選択肢がなかったんです。最終的に、会社を辞めて夜間の道路工事でもなんでもやって食っていく自信はあったので、司法試験に本気で突っ込んでいました。
──その後、三井銀行(現・三井住友銀行)へ入行し、M&Aを担当するようになりました。
佐山 たまたま日経新聞に三井銀行の中途採用募集の広告が出ていたんです。特別銀行に興味があったわけではないのですが、全く別の業界の人からみて、自分がどう評価されるのかに興味がありました。そして応募してみたら面接に来てくださいとのことで、行ってみたら初めてそこで「M&A」という言葉を聞いて、「なんか面白そうやね」と思って銀行に行ってみることにしたんです。
 当時は金融バブルで、給料も上がりましたが、松山から東京に移動して物価も同じように上がっていたので、贅沢な暮らしはできませんでしたけどね。また、バブル絶頂期に都内で中古の一戸建てを買ったんですが、16坪が8000万円でした。いまだによく買ったなと思います(笑)。
──高待遇にもかかわらず、その後退職。MBA取得のためにアメリカへ進学という道を選ばれます。
佐山 三井銀行が太陽神戸銀行と合併した90年の10月、36歳のとき希望してニューヨークに転勤させてもらいました。そこでせっかくニューヨークに来たんだからMBAに行こうと思いました。しかし、仕事をしながら夜間にMBAに行っている人の殆どが20代のアメリカ人です。そのとき38歳でしたので、行くか、行かないか迷いました。人生は一度、行くか行かないかどちらかです。行った時と行かなかったときの10年後を考えてみたのです、行ったときは行ってよかったと思っているだろうけど、行かなかったときは後悔しているだろうということに気が付いたのです。では、答えは明白ですよね、行けばいいです。
 MBAは勝手に行っていたので学費も高く、お金も全然なくて。クレジットカードのリボ払いにはずいぶんお世話になりました。でも、なぜか心配はなかったですね。お金は将来取り戻せますが、時間は取り戻せないですから。未来の自分がなんとかすると、なんの根拠もなく、そう考えていましたね。

破格の好待遇を捨て、いばらの道を選び続ける

──MBA取得後に日本へ戻ってからの状況はいかがでしたか。
佐山 引き続きM&Aの仕事を続けました。1997年4月に日本債券信用銀行(現あおぞら銀行)の子会社のクラウンリーシングの破産案件で、日本初の破産M&A案件のアドバイザーとなり、かなりの利益をあげて銀行での仕事が面白く、このまま定年まで働いたらいくら退職金がもらえるか会社に聞いてみたんです。そしたら800万円だと言われまして。一案件で30億以上も儲けているのに、そんなもんかと。
 これでは定年までいても住宅ローンを返すのがやっとだと、銀行を辞めて仲間とファンドを立ち上げるようことにしました。
──そうなりますよね。
佐山 銀行に辞めますと言うと、何故だと言われ、どういう条件だったら残ってくれるのかと聞かれました。ならば絶対にのめない条件を提示して、無理だと言ってもらおうと思って、契約金5000万円、給料5000万円、出来高の青天井ボーナスならと残りますと言ったんです。
 当時の銀行の常識からしたら、あり得ない金額だったのですが……1週間後に契約金と給料4000万円ならOKとの返事がきました。そこまで言ってくれるならということで、プロフェッショナル職というかたちで銀行に残ることにしました。
 しかし一方で、ファンドを立ち上げる予定だったメンバーからは「いつ辞めるんだ」と急かされましてね。結局1998年の8月にそのプロフェッショナル職に就いたにもかかわらず、10月には辞める意向を伝えていました。ただし、この8月に大倉商事の破産案件があってご指名で破産管財人のアドバイザーをしたので、銀行にはご迷惑をおかけしていないと思います。
──これまた破格の好待遇を捨てて、まだ市場もないいばらの道へ。
佐山 ファンドはいずれやるだろうと思っていたので、思い切ることにしたのです、まだ市場もなくて、収入だって当面はゼロになるような世界で、うまくいく確率なんて5%くらいしかなかったと思いましたが、だからこそ燃えたのでしょう。もしダメならまたM&Aのアドバイザーに戻る自信もあったので、飛び込みました。
──すごい選択だと思います。
佐山 しかもファンド投資って、案件に投資する際に自分も個人で投資しなければいけなくて、また仮に成功してもお金が入ってくるのは売却できた数年後なんですよね。売却完了まで間はお金が出る一方なんです。家のローンも期日に払えないこともあり、セゾンカードのキャッシングでつないだこともありました。ローン返済に10日後に入ってくる給料が待てないような、そんな生活でした。
 ようやくお金が貯まりはじめたのは48歳の頃でしょうか。

「稼ぎたいという気持ちは一切ない」

──M&Aという形で大きなお金を扱うようになって、お金に対する価値観は変化しましたか?
佐山 いろんな人をみて気が付いたのが、収入が上がるとあるところまで比例して幸福度も上がるんだけれど、あるピークを過ぎるとその相関は逆相関になるのではないかということでした。
 そもそもわたしは儲けたいと思ってなにかをやっているわけじゃない。お金とは目標にすべきものではないし、目標にするとキリがない。入ってくるものを拒まなくてもいいけれど、稼ぎたいという気持ちは一切ないですね。事業欲があるだけ。スカイマークを立て直そうとしたときにも、自分が儲かるかどうかなんて一切考えていない。
──佐山さんはつねに走り続けている印象があります。
佐山 同い年をみていると、もうみんなリタイアする歳なんですが、わたしには何もせずにゴロゴロするのは性に合わないんです。
 同世代がみな定年退職というゴールに向かってハーフマラソンを走り切ろうとしていたとすれば、わたしは、フルマラソンを走っている途中でハーフの距離をすぎただけという感覚。定年なんて会社が決めた年齢ですから、自分の仕事終了の年齢をそれに合わす必要はありません。
 日頃から、今の自分は、10年後の自分からみたら10歳も若いんだと思うようにしています。20代、30代の方も、10年後の世界をイメージしてみてください、どうですか? 10年後は別世界が広がっているでしょう。逆に自分の10年前、思い返すとすごく若かったでしょ?この感覚は、いくつになっても変わらないんですよ。要は、「いくつになっても、10年後より10年若い。」もう年をとったなんて思うのは、死ぬ直前だけでいいんです。10年後だったらやる気もしないけれど、いまならできることはたくさんあるんです。いつも若いつもりで頑張ってください。

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