テクノロジーに追いつかない倫理 NZテロに見る現代社会の問題
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注目のコメント
テクノロジーと個人・社会の良い関わり方を唱える事は求められる視点です。
この辺りを主張される書籍や研究成果も多いものです。
SNSを捉えるに於いては、口語的なコミュニケーションが文字にて表現されている事に注目する必要があるかと思われます。
手紙を書く時とメールを書く時、SNSに書く時とでは、文字でコミュニケーションをする意味が変わるものです。
(嫌、最早デジタルネイティブにはその違いは無いのかも知れませんが…)
その弊害を少しでも軽減するために顔文字なりスタンプ、最近はLINEでの削除機能が登場したのでしょう。
しかしSNSコミュニケーションの特徴が変容したかと言えば、そうとは言い難いものです。
寧ろSNSが登場したことにより個人のアイデンティティー形成と不可分となったものと思われます。
(だからと言ってトランスヒューマンな価値観が体制になったとも思えませんが…)
テクノロジーにより便利になり救われる方々がいらっしゃる事は事実ですが全てがそうとは言えません、寧ろ悪化している側面もあるものです。
その最たるが「情弱」との様な無意識で高圧的な差別意識と、その土台たる発信欲(又は顕示欲)と自己像の形成※、それを煽るムード、又はイデオロギーでしょうね。
全てが変わるべきでもありません。
結局ここに終着するのですが、バランスと批判精神が大切です。
その意味では記者の結びは正しいものですが、個人の視点を越えて社会的に形成出来るのかと言えば、やはり難しいものと思われます。
その意味でのテクノロジー活用は求められましょうね。
ただ作り手に多様な視点が問われますので、そこを担保することでしょうか…。
※ここNPで自身の意見を発信している私が言うのも皮肉ですが。