哲学する生物学者、福岡伸一の“孤独”な時間術

2019/3/23
 哲学する分子生物学者、福岡伸一さんは、さまざまな著作を通じて「生命とは何か?」と問いかけてきました。
 その答えは「動的平衡」にある、と告げる彼の言葉の裏に常に貼り付いているのが、「時間」でした。
 時間とは生命そのもの、いや生命である、にもかかわらず、私たちは時間の実存を知覚することができない──。しかし、時間のしっぽを掴むことはできる。例えば、虫を観察することによって。あるいは、時計を眺めることによって。
 有限な時間の価値を最大限高めるための、福岡流「時間術」も一緒にお伝えします。

老いるとは、自分の感性が「熟成」されること

──NewsPicksには「アップデート」というキーワードがあります。つまり新たに更新すること。福岡さんは、「未来」という時間軸に関して、どんなお考えをお持ちですか?
福岡 自分にはあとどれぐらい時間があり、どれぐらいのことを成し得るのかというのは、人生で誰しもさいなまれる問題の一つだと思います。私自身も、あと何冊本が書けて、どれぐらい自分の生物に対する哲学をまとめられるかという不安はもちろんあります。
 特に科学の世界は、若い時じゃなければ大きな発見ができない、と一般的に信じられているんですね。実際、ノーベル賞を取るような発見をした科学者のほとんどは、20代、30代の時のひらめきが研究成果の大本になっています。
──NewsPicks読者でも、中高年の方は、変化の激しい時代に、つい未来に対して不安を感じてしまう人も多いと思うのですが……。
 そうですね。若い時こそが旬で真に創造的で、あとは老いていくばかり、という一般的な見立ては果たして正しいのか。
 私は、絶対にそんなことはないと思う。私の人生の標語は「Never Too Late」です。どんなことでも、遅過ぎるということはない。何かをやりたいけれども、私はもう50歳だとか60歳だからということが、やらない理由にはまったくならない。
 その一つの端的な例として、DNAが遺伝子の実体であるという発見した人物を挙げたいと思います。私が留学していたロックフェラー大学という所で研究をしていた、オズワルド・エイブリー。彼がDNAの研究を始めたのは60歳を超えたぐらいからで、20世紀の生物学の最大の発見の一つを成し得たのは、60代後半なんです。
──ベストセラーとなった著書『生物と無生物のあいだ』(2007年)でもその物語が書かれていましたね。
 新しいことを始めるにあたって、遅過ぎるということはない。それに、年を取ったがゆえに、若い時には感じられなかったことが、見えてくるということもあるんですね。
 年齢を重ねるということは、自分の可能性が「削減」されるイメージが強いかもしれません。でも私は、ものの見方や考え方、感性や理解が「熟成」されていく時間だというふうに思うんです。
──生物学者である福岡さんの言葉だからこそ、励まされる人も多そうですね。著作では、度々「生命とは何か?」という問いに対して、時間の存在を導入されていました。無生物である機械の内部には存在しないけれども、生命の内部には不可逆な「時間の流れ」が存在する、と。
 生命とは動的な平衡状態にあるシステムであり、時間の流れの中で、絶え間なく分解と再構成が繰り返される状態が「生きている」ということである、と書きました。『生物と無生物のあいだ』で私が書きたかった時間は、実はもう一種類あります。私自身が学んできたプロセスの時間です。
 時間とは、ストーリーです。ヒストリーは「ヒズ・ストーリー」ですから、彼もしくは彼女の物語という意味。20世紀から21世紀にかけて生物学がたどってきた「生物史」に、私自身の「自分史」を重ね合わせて書くことが、あの本の持ち味になっている。だからこそ、生物学の知識がない人にも読んでもらえたのかなと思っています。
 例えばビジネスの世界にあっても、先輩が何らかのスキルを若い人に伝える時に、そのスキルを習得するまでのプロセスを省略し、時間を漂白して、情報だけを伝えようとしてもうまくいかないのではないかと思います。
 自分がどうやってそのスキルを身に付けたか、それをどうやって熟達させたか。時間軸込みで、情報を物語として伝えられる人が良い先輩、良い指導者になるのではないでしょうか。
──目に見えない「時間」という存在を、福岡先生が意識するようになったきっかけを教えていただけますか。
 私は生物学者になる前は、昆虫少年でした。ものごころが付いた頃には魅了されていて、虫取りの道具を持って一生懸命、川や野原を探し回っていました。虫が好きな理由は、まずは形と色、それから存在自体の美しさです。
 小さな卵から幼虫になり、その幼虫がさなぎになって、そこからある時ピカピカの虫が飛び出してきたり、くしゃくしゃの羽を開いてチョウへと変わる。小さな体の中に、世界の全てが込められているんです。
 虫のおかげで、生涯忘れられない体験を幾つもさせてもらいました。その一つが、チョウのさなぎを見つけ、中を見たくてほんの少し切り開いてしまった時のこと。
 その後の観察で気付いたんですが、サナギの状態で一滴でも体液が漏れてしまうと、チョウにはなれないんです。どんなにこちらが助けようと思っても、絶対に助けられない。
 また、ある種の昆虫は自分の皮を脱いでだんだん成長するわけですけれども、ある時脱皮がうまくいかず脱げずに引っ掛かってしまっていたコオロギを見つけました。手伝ってあげようと思い古い皮をピンセットできれいに取り除いたら、そのコオロギは死んでしまったんです。私の手の介入によって、何か取り返しのつかない事態が起こってしまった。
 ちょっとしたミステイクというか偶然で、命はこんなにもたやすく途絶えてしまう。時間と共に折り畳まれている生命のプロセスは、決して後戻りすることができないんだ。生命のもろさと共に、「時間の不可逆性」を私に実感させてくれたのは、虫でした。科学者にとって……いえ、人生にとって大事なことはすべて、私は虫から学んだんです。

時計は虫っぽい。小宇宙を感じます

──時間というテーマを自らの生命哲学の根幹に置かれている、福岡さんは時計好きでもあるそうですね。
 時計は大事です。時を忘れるためにも、時計が要るんです。遅刻すると怒られますから(笑)。
 私は今、青山学院大学の他に、ニューヨークのロックフェラー大学の客員教授もしています。日米を往復するたびに、ニューヨークの時間に合わせてある時計と、日本時間に合わせてある時計を付け替えて使っていますね。時間を知るだけならスマホでもいいんですが、気分を変える意味合いも大きいんです。
──福岡さんは時間で気をつけていることや、工夫している「時間術」のようなものはありますか?
 時間術と言うほど大げさなものではないんですが、時間に追われる毎日の中で、私が大事にしているのは予定と予定の間に現れる、隙間の時間です。
 30分でも1時間でも空いたなら、できるだけ一人でいるようにします。本を読むか、ぼんやり考えるか。一人でいる時間が、その人を一番育てる時間なんだと思っています。
 大人になると、打ち合わせだとか会議とか、みんなが寄り集まってああだこうだと話す機会が増えますが、私の経験上、そういう場で素晴らしいアイデアが出たためしはありません(笑)。一人でいる時にこそ、本当にクリエイティブなことが浮かんできたり、頭の中のアイデアとアイデアが繋がったりする。
──そうかもしれません。
「コネクティング・ドッツ」という、スティーブ・ジョブズの名言がありますけれども、点と点が繋がることが、新しい何かを生み出すということですよね。人間の能力のもっとも素晴らしいところは、無関係なことを繋ぎ合わせて、新しい発想が浮かび上がるということ。
 AI全盛時代に、私は声を大にして言いたいんだけど、これは絶対AIにはできないんです。AIは、履歴があるものしか繋げられない。どんなに膨大なビッグデータがあっても、履歴にまったく無関係なものを結び合わせて、それに価値を与えることはAIにはできないんです。人間はそれを行うことで、新しいアイデアを生み出すことができる。
── 一人の時間にこそ、点が繋がる。
 ええ。一人になる隙間時間は大事です。スマホは要りません。ネットやメール、Twitterなどを見たら、一人の時間が崩れてしまうんですよ。デジタルな機能もついていない、時を教えてくれるだけの時計があればいい。
 個人的な好みですが、身に着ける時計は、綺麗なものであったほうが望ましいと思います。自分のイマジネーションの大切なものと繋がるような、根源にある美意識を呼び覚ますような、見ればその宇宙の中へ入っていけるような時計がいい。
──ウィキペディアに「愛用しているのは、シチズン時計のカンパノラ」という一文を発見したのですが……。
 あはは。見ている人はよく見ているものですね。私自身は発言していないんですよ。テレビか何かに出た時に、たまたま着けていたのを、どなたかがネットに書いたようなんです。ただ、その記述は正解です(笑)。大のシチズンファン、カンパノラファンですね。
 カンパノラは、宇宙をモチーフにしていますよね。天の川が流れているようなデザインのものもあるんですよね。また、カンパノラという名前を聞いた時、連想したのは宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』に出てくる人物、カンパネルラでした。デザインと名前の響きに惹かれて、数年前に買い求めました。
 カンパノラは、私が子どもの頃からずっと好きで世界の不思議を教えてもらった、虫っぽいんですよ。クワガタムシやカミキリムシのような、金属的に光っている甲虫のイメージですね。全面シルバーなのに、時計の針だけ青色、という配色も虫っぽい(笑)。
 じっと見ていると、「ここにも小宇宙が込められている」って感覚になってくるんですよね。
──小宇宙を腕に巻き着けているんだと思うと、時計を見る目も変わりそうです。
 実際、時計のメカニズムの中にも、ものすごく精妙な仕組が込められているわけです。この時計に搭載されているボタンを押すと針がぐるぐる回って、前後100年、200年分のカレンダーを表示する機能もおもしろい。
カンパノラの最新モデルには、西暦2000年を境に前後100年、大切な一日を自在に呼びだすことができるパーペチュアルカレンダーがついている
「時間を可視化する」という時計の機能を、カンパノラは存分に楽しむことができる。
 私にとって、カンパノラは時間を知るためだけでなく、日常の中から、想像力で小宇宙へと飛び立つためのスイッチでもあるんです。
(編集:中島洋一 構成:吉田大助 撮影:吉澤健太 デザイン:九喜洋介)