幻冬舎の編集者として数々のベストセラーを手がけ、テレビ出演、オンラインサロン「箕輪編集室」の主宰など、幅広い活躍を見せる箕輪厚介氏。昨年出版した自著『死ぬこと以外かすり傷』は12万部を超え、さらに今年四月にはプロデュースするアーティスト・箕輪☆狂介のコンピレーションアルバムが発売される。
目まぐるしく活動の場を広げ、戦いつづける箕輪氏のお金観は? これまでの人生でお金への見方がどのように変化してきたのか、10代からさかのぼり、話を聞いた。

「大学時代は、治験で稼いでた」

──今日は箕輪さんがこれまでの人生で、何にお金を使ってきたのかをお聞きしたいと思っています。まず、10代の頃はいかがでしょうか?
箕輪 中学から高校まで、特に熱中してお金を使ったことはなかったですね。
裕福だったわけではないですが、いわゆる普通の中高一貫校に通えるくらいの家庭だったので、必要なものは買えました。でも、サッカー部で土日は練習試合だし、周りの子たちのように洋服やCDにハマるわけでもなく、お金を使う機会がほぼなかったんですよ。たまの休日、映画に行くくらい。
──では、あまりお金を意識することなく10代を過ごされたんですね。
箕輪 そう。全然苦労してないんですよ。だから、「成り上がってやるぞ!」って気持ちもないし、かといって特別お金持ちなわけではないから、調子に乗ることもない。お金に対しては、何の意識のなく大学まで過ごしてきました。
──大学に入って、生活に変化はありましたか?
箕輪 アルバイトを始めたくらいです。でも、超ぐだぐだでしたね(笑)。まともに働けなくて、大体すぐ辞めてましたよ。
──ちなみに、どんなアルバイトが続かなかったのでしょう?
箕輪 もんじゃ焼き屋形船のバイトとか。「あなたの職場はお台場の海の上」っていう、バイト情報誌のキャッチコピーがイケてるなあと思って応募したんですけど。酔っ払いに「おい!ビール持ってこい!」って言われただけでムカついて、1日でバックレました。
続いたのは、最低時給で雇われてた漫画喫茶の受付と、フットサルコーチだけ。アルバイト代は月7万円、飲み代を稼ぐ程度でしたね。あとは、死ぬほど治験に参加してたかなあ。
──治験って、薬の効き目とか安全性を確認する……?
箕輪 そうそう。治験って、一回で20万円くらい謝礼を貰える場合もあるんです。長期休みは治験で一気に稼いで、よくアジア旅行に行ってました。だから腕には、採血のせいでできた注射の跡が絶えなかったですね。
──(笑)。それから社会人になられて、新卒で双葉社に入社されました。お金の使い方に変化はありましたか?
箕輪 入社一年目から、月給が手取りで30万円近くあったんです。しかも入社した年に、小説『告白』(湊かなえ、双葉社)が売れたので、最初のボーナスは150万円。経費は切り放題だし、仕事以外にお金を使うこともなかったので、社会人になって急にバブルですよ。「え、こんなに金あるの!?」って。
ところが、会社の事情で3年目に給料がガクンと下がったんです。社会人になりたての頃ってまだ貯蓄もないし、出費が1万円増えるだけで急に生活が苦しくなったりするじゃないですか。家賃9万円はいけるけど10万円はキツいとか。そのレベルで生活しているから、ボーナスがなくなったり、給料が下がったりすると普通に生活が破綻するんです。それで幻冬舎に転職したんですよね。

作る本の内容と自分の暮らしとのギャップが辛かった

──余裕のある暮らしから、一気に厳しい状況になってしまったと。
箕輪 はい。僕のだらしなさが相まって、住宅ローンを3ヶ月連続で滞納したこともありました。払わなくても、3ヶ月までは催促の電話が来ないと分かったら、「2ヶ月目だから、今月はまだいけるな」と支払いを先延ばしにして、どこかで辻褄を合わせようって。クレジットカードも同様です。
結婚して、子供も二人いるのに、これはやばいぞと。毎日お金のことを考えていましたよ。
──一家の大黒柱の立場でその暮らしぶりは……かなり堪えますよね。
箕輪 そんなふうにカツカツで過ごしているのが嫌になり、家賃を下げて広いところに住もうと、埼玉県・小手指に引っ越したんです。当時、イケダハヤトさんの本(『まだ東京で消耗してるの?』、幻冬舎)を作っていた影響もあって、小手指ののどかな雰囲気もいいなあと。でも、いざ住み始めると超大変で。
──通勤時間がかかるから?
箕輪 要は、声がかかるわけですよ。「今すぐ来れる?」って起業家の人に呼ばれても、そこから向かうのに2時間かかるんです。ビジネス書の中では「通勤時間は無駄だ!」と言っておきながら、自分の生活は絵に描いたようなザ・サラリーマン。毎回、満員の西武池袋線で往復するのが、精神的に一番辛かった。仕事ではこんなに結果を出しているのにって。
だからもうこれは賭けだと思って、31歳の時にまた都内に引っ越したんです。貯金がゼロのなか、家賃が月給の2/3ぐらいかかるところに。もちろん、そのままでは半年で破産するので、副業を本格的に始めました。
──すでに副業で稼げるという見通しがあったのでしょうか?
箕輪 引っ越す前から、少しずつコラムや講演会の仕事が入ってきていたので、頑張れば需要はあると思っていました。月10万円くらいはなんとか稼げるんじゃないかって。止むに止まれずオンラインサロンも始めたら、わっと人が集まってくれて、あっという間に稼げるようになりました。年収は10倍くらいに増えましたね。

誰も損しないお金の循環を

──収入が増えて、箕輪さんの中でお金という存在に変化はありましたか?
箕輪 なにも変わらないですよ。さっきも言ったように、元々仕事に関わるもの以外、あまりお金を使わないから。変わったことといえば、幻冬舎の経費を1円も切らなくなったくらい。清算が面倒なので、全部自腹ですね。
あとは、お金のことを気にせず仕事に邁進できるようになったのが大きいです。お金がない時は、飲み会に行くたびに値段を確認するし、家族旅行をするにも海外は無理だから、国内の現実的な場所を選ぶし。そんな時に、税金の徴収が重なると「今度はなんの税だよ!」ってなる(笑)。小さな消費もいちいちストレスに感じていました。でも、お金に余裕があると、まったくお金のことを考えないんですよ。すごく自由です。
──お金と同時に自由を得られたんですね。
箕輪 たとえば、Tシャツ一枚でも、欲しいものであれば、千円でも4万円でも買う。高いから辞めようって選択はしない。単純に、自分の好き嫌い、必要か必要じゃないか、やるべきかやるべきじゃないか、自分の価値観だけに沿って物事を選択できるようになりました。それはお金があるからです。本当に自由を得たっていう感じがします。
実感としては、それくらいですかね。箕輪編集室(オンラインサロン)のために事務所やシェアハウスを借りたり、結構大きな金額は動かしてますけど、それもあくまで数字と捉えてあまり気にしていないです。
──今後も仕事やサロンメンバーのためにお金を使っていくのでしょうか?
箕輪 そうですね。シェアオフィスやシェアハウスなど、サロンメンバーの居場所を作るための投資は続けます。僕が頑張れているのはやっぱりサロンメンバーや応援してくれている人のおかげなので。
とはいえ、ただ善意でやっているわけではなく、与えた分だけ、戻ってくると思って。戻ってくるときにはメンバーも僕もまた一段階、押し上げられているはず。誰も損しない循環をしているだけなんですよね。
──著書『死ぬこと以外かすり傷』(マガジンハウス)でも「リスクを取れ」ということをおっしゃっていましたが、家賃の高い部屋に引っ越して副業で稼ぐようになったのも、リスクをとった結果といえますよね。
箕輪 このままじゃだめだと思った瞬間に、初めて「稼がなきゃ」と思えました。「コラムを書かせてくれませんか?」「ここで喋ったらギャラが出ませんか?」と営業して、自分の市場価値がわかったんですよ。
当然、逆のパターンもあると思います。市場から見放されてみたら、全然自分には価値がなかったとか。あと、人によっては、リスクを取ることに弱く、逆にダメージを負ったりすることもあると思いますけど。
でも、お金があったらなかなか人間って頑張れない。食えないわ破産するわと追い込まれて、初めて開花することがある。会社の中にいたら気づけない、自分の値札っていうのがあるんです。それに気づけたから、僕はリスクを取ってよかったですね。

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