人類をアップデートせよ
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注目のコメント
内容の前に、差し入れ食べた後のお二方の会話
落合氏「氷河期を経た人類はみんなこれ好き」
佐々木氏「よく分からないけど行きましょう笑」
これは面白すぎた笑。
宮台さんの人類の変化を直近の年代系列で話してたのがとても分かりやすかった。特に喧嘩の話にあった、言葉<体験…
ってか、今回どちらかというとWEEKLY MIYADAIだな。
お前がお前である意味…とても響いた…。ともかく面白かったし、小気味好かったし、拾いどころ満載の濃厚なweekly OCHIAだった。
宮台さんが維新派の話から入ったのは、
舞台人からすると、ウフっとしたし、
芸術の「わからなさ」やそれによる「不快、不可解さ」の重要性を説いたのは、「いいね」を押してクズになってもいい程の同意であった。
(ヨーロッパでは、「わからなさ」をしっかり評価出来る文化、芸術への理解があると聞く)
総じて、「躰」を探求するものとして、
宮台さんは、身体性の話をしているのだと私は解釈している。
ゆうならば、「身体力」の衰退が著しいという話だ。
私の言語で言えば「躰の消失」。
そこに対する危機感の話だったと思う。
言葉の自動機械も大いに「躰」が関わる話だ。
輪郭無き、身体の拡張。
仮想現実がその拡張に拍車をかける世の流れ…
「躰」の蘇生、復古を訴えてきたが、
これからは、意識の在り方がキーになってくると思う。
そこで「主導権を渡さない」という意志、意識を、
幾重にも重ねられたバイアスに気付きたながら、
それを丁寧に一枚一枚取り除いていく作業に、
芸術という媒体は貢献し、より重要度を増すのではないかと思うと同時に、
芸術家サイドとしては、よりその質が問われるべきだと、身の引き締まる思いだ。
(とはいえ、芸と術のupgradeを繰り返すのみだが)
人間の定義、人類の定義
それらによって上記で述べた「身体」「躰」の優位度はどのようになるのかは、個人的に興味深い。
宮台さんの「躰」の時代は決して戻っては来ない。
より躰は拡散し、その密度は稀薄になる中で、
人々はどう振舞い、佇むのか?
「新たな人類の時代」はもう始まっている。
ここに対する肌感、予感は、落合氏のアートに反映されてくるのではなかろうか?と思っている。
「質量への憧憬」にその片鱗を私は垣間見ていた。
ともかく面白い時代だ。人類をアップデートするのであれば、今後人類は、1万年前の問題点をテクノロジーで解決しながら狩猟採取民であった時代にライフスタイルが戻る方向へいくとソーシャルグッドだと思います。
ここ2000年で様々なテクノロジーの進化と共に、人類は農耕民族的な生活の中で生きていこうともがいたけれど、現状では人類が摩耗して発展の余地が無くなってしまった。
しかし、ここでの人類の営みは、今後、狩猟採取民へ立ち返るためのテクノロジーを作り上げるために必要な犠牲であった。
この様な考え方を起点に動画を観ると、重なる思想が多く、是非この御二方と対談したいと思いました。