言ってはいけない!「日本人の3分の1は日本語が読めない」
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なぜ今更2013年のPIAACについて記事にするのだ??
もともと学校というテストの結果に対するインセンティブがある(具体的には無いが児童生徒はテストを科せられると高得点を取ることが是と考えてしまう)のに対して、無作為抽出の成人にテストを受けさせても、高得点を取らなくてはいけないというインセンティブが働かない調査で本当の実態が得られるのだろうか?という疑問を当時から持っていた。
そして、日本ではレギュレーションに合わせて抽出して実査もしっかりしているかもしれないが、各国では調査対象者の無作為抽出がしっかりしているか、報酬を与えていないか、などが国際比較をする際の重要な観点になる。
OECDのPISAではクリティカルシンキングの力も重要視されるが、とあるアセスメントや調査の結果を鵜呑みにしてしまって、ファクトを読み違えてしまってはいけない。
https://www.nier.go.jp/04_kenkyu_annai/pdf/piaac_summary_2013.pdf
注目のコメント
見出しほどの驚きはないなくて、ああやっぱり、という感じ。
13年ほど前、NBオンライン(当時)でジェンダーに関する連載を始めた時、最も驚いたのは読者コメントの質が低いこと。それまで、取材先も読者(紙媒体)も、意見は違っても話が通じる人ばかりだったから、並ぶコメントが「日本語なのに、日本語の記事が読めていない人がたくさん」であることに驚愕しました。
その時、ふと、センター試験の国語の問題が全然分からない人ってこういう感じなのかも、と思いました。特に「この文章で筆者が言いたいことは何ですか」系の質問に、おそらく答えられなそうな人がおかしなコメントを書いているのでは、と。
単語の意味は分かっても、そのつながりが分かっていない…というと「AI vs 教科書が読めない子ども達」(新井紀子著、東洋経済新報社)のテーマで、実際そういう人はウェブ記事のコメント欄でたくさん見かけます。
もう一つ、この記事には、小学3~4年生の算数が分からない大人の話が出てきます。うちの息子が今、4年生で授業参観が月1回ペースであるのを見ていると、けっこう、難しいことをやっています。ホワイトカラーの大人は解けるだろうけれど、日本人の半分ができるかどうかは、疑問。
裏を返せば、義務教育の内容を本当に身につければ社会生活ができる人はいるはずで、グローバルだのデジタルだの新しいものを付け加える前に、ちゃんと読めて四則演算ができるようにした方がいいってこと? と、これも新井先生の本に書いてありますが。「その理由を高い能力が仕事で活かされていないからだとしている。」というOECDの理由付けはたぶん間違っていて、レベルが高過ぎて(私たちはそうとは思ってない一般レベル)機械に代替されなかった知識層(一般人)が多過ぎるのだと思う。他の国からしたら「何でそんなこと普通の人間ができるの?」という不思議な精度の高い処理能力を持ってテクノロジーの参入障壁となっている。機械に晴れて奪われるようになって初めてその高い能力が解放され、仕事で活かされる、という順番だと思う。
この調査対象である読み書き算盤(3R: Reading, Writing, Arithmetic)がどれだけ他国よりできてももう自慢にならず、4C(Creativity, Critical thinking, Communication, Collaboration)がどうなのかで議論した方がいい。
あるいはその卓越した読み書き算盤能力を活かして、4Cを無力化させる日本発のテクノロジーを開発することだろう。「日本人の3人に1人は日本語が読めない」が、それでも先進国のなかでもっともマシ。しかし問題はOECD調査の平均以下の結果である米仏や調査で最低レベルの伊などに比べても日本の労働生産性が低いこと、また若者に絞った調査ではPIAACの調査すら日本のレベルは下がっていること。
これは明らかに日本の教育行政が間違っていたことを示すものであり、なおかつ、日本は平均としてそこそこ知能レベルはあるけれど、まっとうなエリートがいないことを示すことである。記事の著者は、それを日本が先進国のふりをした身分制社会であるからだ、としているが、私はむしろ、まっとうな格差や階級を受け入れない教育こそが日本の諸悪の根源であるように思います。
国民平均点が高いことより、国民の半分に高度な知能がなくとも国がまわる、ということの方が重要なわけです。最低限の読解力や数的思考力をなるべくみんなに備えることは社会としての底上げにつながりますが、七割の人間が微積分ができることより、一割のエリートがその知能を早い段階から高度に磨いて労働に余すことなく活用できることの方が重要。
間違った一律的な教育は今すぐやめて、豊かな人生を育てるゆとり教育と、国を牽引する人材を育てるエリート教育を同時に行い、少なくとも知能レベルや勉強の向き不向きに応じて学校は三種類に分けるくらいの抜本的改革が必要とされています。