学校も、”あれもこれも”をやめる時【中教審答申はココを読め(2)】(妹尾昌俊)
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この記事を読んで、心がスッキリしました。実際、私の勤務校では、体育祭や音楽祭などの行事に、全教員を巻き込んで異常なほど時間をかけるのですが、その間、教材研究する時間はまったく取れず、担任は全ての時間ずっと生徒につききりになります。なんのための行事なのかと疑問を持つ毎日です。
「生徒のために」
教員はみんなが思っているはずですが、この言葉が時には教員の呪縛とすらなります。
自分の学校に通う全ての生徒の幸せを願うのは当然のことですが、それと生徒に関する全てのことを面倒みるということは話が別のように思います。
しかし、それを社会が求めている。それを社会が当たり前と思っている。
ある時期までは生徒にとっていいことであっても、状況が変われば最善とは限らない。にもかかわらず「やらないよりはやった方がマシ」という前例主義で、やることは減らない。
仮に減らすと決断したら、「今までやってもらっていたのに何故なくなる?」批判される。
もともと全員に当てはまるものなど一つもない中で、最大公約数のものをやり続けてきているわけなので、実はなくなってもいいものは数多く存在する。
ただ、一つ考慮すべきことは、前例で楽をしている教員も一定数いるということ。新しいことを取り入れようとせず、自分の枠の中で生徒を指導し続けようとする人がいることが問題を解決を遅らせていることも忘れてはいけない。