1. シリコンバレーのカフェテリア

シリコンバレーの大手クラウドコンピューティング会社のカフェテリアは、ランチの時間で混雑していた。
ヴィーガン(完全菜食主義)のシェフ、チャド・サルノはガスの火をつけて、スチール製のフライパンにボトルからゆっくり白ワインを注いだ。フライパンには刻んだタマネギとケイパー、野菜スープ、アルデンテに茹でたリングイネが入っている。
サルノは手首を軽く叩いてフライパンの具材を返すと、弱火にして「グッド・キャッチ」のフレークを一握り分、加えた。グッド・キャッチはひよこ豆や大豆、レンズ豆など、6種類の豆と藻類のオイルで作った植物性のツナだ。
1分ほどかけてパスタにソースを吸わせてから、小さな皿に盛りつけ、角のテーブルで待っていた小柄な黒髪の女性の前に置いた。
2年前に兄のデレクとグッド・キャッチを設立したチャド・サルノは、見るからに不安そうだった。料理を待っていたメイジー・ギャンズラーは、ケータリングの大手コンパス・グループの高級路線の子会社ボナペティ・マネジメントの戦略部門の責任者だ。
コンパスは1日100万人以上の胃袋を満たしており、クライアントにはアップルやフェイスブック、グーグルもいる。彼女が気に入れば、グッド・キャッチは世界的な影響力を持つ人々に料理を提供できるかもしれない。
リングイネを口にしたギャンズラーは、表情を崩さなかった。続いてサラダ。パスタより多めにトッピングされた代用ツナは、本物とは違う茶色がかった灰色をしている。
ギャンズラーが笑顔を見せた。
そして、ボナペティはいつからグッド・キャッチのデリバリーサービスを利用できそうかとたずね、牛乳を使っていないモッツァレラチーズ「ナム」にも関心を示した。チャドが30分前に、2枚のマルゲリータピザの上に慎重に溶かした代用チーズだ。

2. スタートアップと超大手食品会社の橋渡し

8月のこの日、試食会を企画したクリス・カーは、料理を食べるギャンズラーをテーブルの向かい側からじっと見つめていた。カーが共同設立者兼CIO(最高投資責任者)を務めるニューヨークのベンチャーキャピタル、ニュー・クロップ・キャピタルはヴィーガン分野に注目している。
グッド・キャッチのほかにも、ミールキット(レシピに合わせた食材や調味料のセット)を提供するパープル・キャロットや、豆を使った代用肉のハンバーガー──「皿の上で汁が滴る」──を手がけるビヨンド・ミートなど、ヴィーガン食品を扱う33の企業に投資している。
ヴィーガンの食の中心が、かび臭い自然食料品店からホールフーズ・マーケットなどに移りつつあるなか、カーは業界全体に顔がきく流行仕掛け人になった。
有望な会社には設立当初から投資し、ほかの投資家を呼び込む。カーギルやメープル・リーフ・フーズなど、肉の消費量の減少に備えようとしている超大手食品会社とスタートアップの橋渡しもする。
「今は絶好のチャンスだ。誰もが注目している」と、カーは言う。「金の力を利用できる。確実に足がかりを築き、(ヴィーガンを)一気に世界へ広めるために必要なパートナーと提携できる。それが私の重要なミッションだ」

3. 投資家の熱い視線

ニュー・クロップは約6000万ドルの資金を運用しており、カーはタイの実業家ダン・パトムヴァニチの支援を得て、新たに1億ドルのファンドの設立を進めている。
このニュー・プロテイン・ファンドは先進的な製造および販売体制の整備に投資して、ニュー・クロップが投資している企業の迅速な製品開発を後押しする計画だ。
カーは「すべてを取り仕切るゴッドファーザーだ」と、チャド・サルノは言う。カーはグッド・キャッチの最初の出資者でもある。
同社は昨夏、代用ツナをまだ1つも売っていないにもかかわらず、ヨーロッパの鶏肉製品大手PHWグラッペ・ローマンなどから新たに870万ドルの資金を調達した。
植物性食品に関するビジネスプランは、投資家のあいだで注目が高まっている。
グッド・キャッチの試食会の前日、カーはサンフランシスコで資産家のジョン・ソブラトと朝食をともにし、可能性のある案件について話し合った。
続いて車でサンフランシスコ湾の対岸に向かい、人気チェーン店カーベルのアイスクリームケーキを製造しているリッチ・プロダクツの経営幹部に会った。その後は有力な投資会社の担当者との電話が長引き、駐車していた車がレッカー移動された。

4. カウンターカルチャー精神

この日会ったすべての人に、カーは熱く語った。ヴィーガン革命が始まっている、儲けるチャンスだ、と。
大げさというわけでもなさそうだ。肉や魚以外からタンパク質を摂取するための代用食品の分野は、食品業界で急成長している。ニールセンの調査によると、アメリカのヴィーガン食品全体の売り上げは17年から18年半ばにかけて20%増えて、33億ドルに達した。
「確実に儲かるだろう」と、カーはリッチ・プロダクツのディンシュ・ガズダーに代用チーズのナムを売り込みながら言った。
盛んにヴィーガン食を宣伝するカーだが、昨今のブームの根底にある葛藤を隠すつもりはない。菜食主義は数十年にわたり、カウンターカルチャーに根ざし、動物由来の過剰な加工品と塩分がもたらす現代の食システムの病を否定してきた。
しかし、食生活として主流の仲間入りをするためには、そのシステムの中で企業活動を行い、多くの慣行に従って大量消費市場に参入することが不可欠だ。つまり、本当の意味でグローバルになるためには、財政面の強化と産業化が必要となる。
そして、カーは自分がそれを実現しようとしている。

5. ヴィーガンに転向した理由

カーは現在51歳。白髪交じりで、薄い無精ひげを生やしている。
ベンチャーキャピタリストの基準でもカジュアルな服装が多く、スリムなジーンズにニューバランスのスニーカーを履き、色あせた黒のパーカーには「草食動物」という単語の上に象が描かれている。
故郷のペンシルベニア州バークス郡では、誰もが肉をたらふく食べていた。父親は骨董品の修復の仕事をしており、母親は専業主婦だったが、自宅で飼っていた牛や豚、鶏、あひるが食卓に並んだ。酪農は地元の主要産業で、カーは隣家の牛の乳絞りを手伝った。
ボストン郊外のバブソン大学を卒業後、ニューヨークとメイン州で医療廃棄物事業に携わり、コロラド州でソフトウエア開発会社を立ち上げた。
1999年に、高校時代に憧れていた現在の妻キルスティと再会。彼女は2人が知り合う前からヴィーガンだった。
翌年から一緒に暮らし始めると、キルスティから動物愛護に関する本やドキュメンタリーを勧められた。カーが悟りを得たのは、哲学者ピーター・シンガーが動物の権利活動の歴史を綴った著書『Ethics into Action(倫理を行動に移す)』だ。
「世の中には2種類の人間がいる。正義とはどのようなものか、生まれながらに知っている人間と、教えられなければわからない人間だ。キルスティは生まれながら知っていた。私は教えられて理解した」
キルスティは現在、ニュー・クロップの経営に助言をしており、投資先の審査に同行することも少なくない。彼らは猫を7匹飼っている。

6. 動物愛護協会の投資戦略

ヴィーガンに転向してから3週間後、カーは家畜動物の保護活動を行うファーム・サンクチュアリのイベントで、米国動物愛護協会の幹部だったウェイン・パーセルに会った(パーセルはその後、会長に就任したが、2018年にセクシャルハラスメントの疑惑が浮上し、本人は否定したが辞任した)。
カーは新しい生き方と真剣に向き合おうとしていたが、チーズバーガーやクロワッサン、ピザなど、大好物だった動物由来の食べ物が恋しくなると、パーセルに愚痴をこぼした。そして、ヴィーガンのブランドにささやかな投資をして、代用食品の味を向上させる後押しをしたいと語った。
すると、パーセルがある提案をした──動物愛護協会の資金でやってみてはどうか。
そして、ワシントンの本部にカーを推薦し、協会の2億ドルの投資資金の一部を任せ、プライベートエクイティ部長なる肩書きを与えた。カーに課せられた仕事は、地道な投資信託による資金運用から、動物に優しいビジネスに直接、利害関係を持つ戦略に変えることだ。
彼は7年間さまざまな事業に投資や助言を行い、ビヨンド・ミートや、イミテーションチーズ(植物性油脂などを加工したチーズの代替品)を製造するミヨコズ・キッチン、ヴィーガン向けのファストカジュアルレストラン(ファストフードとファミリーレストランの中間の形態)チェーンのベギー・グリルなどに携わった。

7. ヴィーガンがセレブの証へ

当時は本人も知る由はなかったが、カーが注目したニッチな分野は大きく成長しようとしていた。
動物性食品を徹底して排除する食習慣は、少なくとも100年前から存在するが、現在の概念が生まれたのは1940年代のこと。イギリスの動物愛護の活動家ドナルド・ワトソンが「ヴィーガン」という言葉を考案し、ヴィーガン協会を設立した(「vegan」のほかに「vitan」「benevore」「beaumangeur」「sanivore」なども候補に挙がった)。
長年のあいだ、ヴィーガン食品の市場は誤差の範囲内で、野心的なブランド戦略とは縁がなかった。これまでの食生活からおいしい食べ物の大部分を取り除き、聖人らしさと味気なさを少々加え、何かの芽と生ぬるい液体を大量に振りかければできあがりだ。
しかし、10年ほど前から変化が始まった。
著名なヴィーガンの先駆けとなったビル・クリントン元米大統領は、2010年に心臓のバイパス手術を受けた後に肉を断ち、体重が10キロ近く減ったと自慢した。
ヴィーガンはハリウッドでも流行し、『Cowspiracy(カウスピラシー:サステイナビリティの秘密)』『What the Health(健康って何?)』など、食肉産業を批判する──ただし、科学的な厳密さに欠けるところもある──ドキュメンタリーがネットフリックスなどのストリーミング配信サービスにあふれた。
シリコンバレーもこの流れに加わり、基本的に味気ないヴィーガン食品の常識を打ち破る機会に目をつけた。
俳優のジェシカ・チャステインやベネディクト・カンバーバッチ、映画監督のエイヴァ・デュヴァーネイなど、著名人が次々に動物性食品を断つと宣言。ヴィーガンになることは、有名になるための野心になった。
美容関係のブログは、完全菜食で肌がきれいになるという「ヴィーガン・グロウ」説をほめそやしている。

8. おしゃれなヴィーガンカフェ

ヴィーガンは、現代の文化の潮流にぴたりとはまっている。食品生産者のあいだに技術的な希望を広め、消費者にとってはインスタグラムで羨望を集める完璧なツールだ。
ヴィーガンのブランド戦略はもはや、独特の香りが漂う健康食品店で、ハーブを使った便秘薬を厳選して販売することではない。
最近は、たとえばシェフのクロエ・コスカレリが共同設立したヴィーガンカフェのバイ・クロエは、ニューヨークのウエストヴィレッジなど人気エリアにおしゃれな店を構え、少々値の張る野菜バーガーやサラダ、ケーキなどを提供している。
気候変動に対する不安も、ヴィーガン運動にさらなるエネルギーを投下している。
農業、とくに家畜の飼育は公共事業部門に続いて、世界全体で圧倒的な量の二酸化炭素を排出している。途上国の消費者に肉を日常的に食べられる経済的余裕が生まれ、何かを劇的に変えないかぎり、畜産からの二酸化炭素の排出量は増え続けるだろう。
地球が炙り焼かれる事態を回避するために、今すぐ行動を起こさなければならないことが、カーの使命感を駆り立てている。

9. 遺伝子組み換えゼラチン

カーは2014年に動物愛護協会を離れた。本人によると、投資が迅速に承認されないことに不満を募らせたのだ。
そして「匿名を希望する裕福な支援者たち」から資金を集め、2015年にニュー・クロップを設立。8人のスタッフは大手金融機関の出身者や環境問題に熱心な人たちで、その大半が菜食主義者またはヴィーガンだ。
カーは当初から投資先の企業に対し、一般的なベンチャーキャピタリストよりも積極的に関わっている。ヴィーガンの起業家には、事業規模を急速に拡大した経験がある人が少ないと考えたのだ。
グッド・キャッチの共同CEOなど数多くの役職も引き受けており、その投資哲学はほかの投資家からはやりすぎだと思われるかもしれない。
ニュー・クロップが投資する事業の大半は、研究室で培養した肉や植物由来の一般的な代用肉を扱っているが、なかには型破りなものもある。
カーがとくに期待しているのは「乳製品を使わないバター」を製造するフォーラ・フーズだ。主な材料はココナツと、フムスを作るためにヒヨコ豆を茹でた汁(タンパク質が豊富に含まれている)。このバターを、カーはブリオッシュを作る複数のフランス企業に売り込んでいる。
遺伝子組み換えゼラチンを開発しているスタートアップのゲルターも、カーのお気に入りだ。動物の骨から抽出したゼラチンに特有の遺伝子を菌に注入して、均一な成分の代用ゼラチンを製造している。
「人間が食べるものの中で(動物の骨などを煮詰めて作る)ゼラチンほど不快なものはない」と、カーは言う。マシュマロやヨーグルト、キャンディなどにも使われているが、「味を楽しむわけではないから、代替品があるかどうかなど、誰も考えようとしない」。
※ 続きは明日掲載予定です。
原文はこちら(英語)。
(執筆:Thomas Buckley記者、翻訳:矢羽野薫、写真:gerenme/iStock)
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This article was translated and edited by NewsPicks in conjunction with IBM.