心と行動と言葉。日々、自分との駆け引きがおもしろい。

2019/1/23
人類の寿命が延びているらしい。近い将来やってくる「人生100年時代」。長い人生を良く生きるためには、どんな戦略が必要なのか。この連載では、「ウェルビーイング(well-being)」を研究し、その普及活動をしている予防医学研究者の石川善樹氏と一緒に、人生100年時代のGood Life戦略を探っていく。
「人生100年時代」においては、「実りの秋」に差し掛かる50歳。まさにそのタイミングで、活動の舞台をシフトし、海外を飛び回る僧侶がいます。
 険しい山中を9年の歳月をかけて1000日間歩き続ける「千日回峰行」をはじめ、断食、断水、不眠、不臥を9日間続ける「四無行」といった壮絶な荒行を達成し、大阿闍梨の称号を得た塩沼亮潤その人です。
 自らの体験と深く向き合いながら、常に「明日」への前進を試みてきた塩沼さん。Good Life戦略の「こころ」について、お話を聞くために、塩沼さんが開山した慈眼寺(宮城県仙台市)を訪ました。
 折よくこの日は月に2度行なわれる護摩祈祷の日。石川善樹さんと取材一行は、対談に前後して護摩祈祷の場に参拝しました。
1968年仙台市生まれ。東北高校卒業後、吉野山金峯山寺で出家得度。91年大峯百日回峰行満行。99年吉野・金峯山寺1300年の歴史で2人目となる大峯千日回峰行満行。2000年四無行満行。06年八千枚大護摩供満行。現在、仙台市秋保・慈眼寺住職。大峯千日回峰行大行満大阿闍梨。
 護摩祈祷とは、お不動様の前で煩悩の象徴とされる護摩木を燃やし、厄や災いを払い、大願が成就するよう祈る真言密教秘伝の修法です。
 普段見せる柔和な表情とは打って変わり、鬼気迫る表情で護摩を焚く僧侶としての横顔。果たして、塩沼氏がこうした日々の修験を積み重ねる上で、どのように「こころ」を整えているのでしょうか。その心得を聞きました。

常に挑み、少しずつ上達する実感を得たい

石川 塩沼さんは実に9年の歳月をかけて、「千日回峰行」と「四無行」という荒行を達成して、この慈眼寺を建てられたんですよね。今回の取材に際してあらためて経歴を拝見すると、本当にすごいことだと痛感します。
塩沼 はい、私も今回資料を見て初めて、石川さんが予防医学の先生だったということを知りました(笑)。普段はあまり仕事のことは聞かないですものね。
石川 たしかにそうですね(笑)。
塩沼 わざわざ仙台まで来ていただいてありがとうございます。天気もいいですし、今日はもう仕事は終わりにしませんか?
石川 あははは。でも今日は塩沼さんにお聞きしたいことがいっぱいありまして。
 塩沼さんは最近、海外での活動に積極的ですよね? 今まさに50歳を迎えた塩沼さんが、飄々と海外に飛び出して行ってしまう様子をSNSで拝見していて、その身軽さに、人生100年時代の戦略を考えるヒントがあるのではないかと。
塩沼 ああ、なるほど。でも、本当にとくに深い意味はないんですよ。
石川 今春、ニューヨークへ行かれた時も、現地での予定をまったく決めずに旅立たれたのには驚きました。
塩沼 普通に考えれば無謀ですよね。英語なんて全然できないのに。
石川 当日、成田空港で「これからニューヨークに行きます」とSNSで発信したことで、現地での講演がトントン拍子に決まったんですよね。
塩沼 ええ。そこからあれよあれよといろんな方をご紹介いただいて、流れに身を任せていました。私の行動は単に、“行き当たりばっちり”に過ぎないんです(笑)。細かいことを決めずにとにかく行動しているんだけど、結果的にばっちりになる。
石川 思い立ったらとにかく自分をそこに放り込んでしまうというのが、塩沼さんの挑み方ですよね。その凄まじい行動力を支える、鋼のメンタルの源を今日はぜひ探らせていただきたいなと。

プレッシャーやストレスが人を育てる糧となる

石川 塩沼さんは千日回峰行や四無行という壮絶な修行を終えた直後に、一からこちらの慈眼寺を建てたんですよね。
塩沼 そうですね。我が家の家訓が、「お金は借りない貸さない、貸すならあげなさい」ですので、銀行からも借りられない、本山の援助も檀家もない状態でこれだけの規模のお寺を作り上げるのは、本当に難しいことでした。
石川 どうやって問題を解決されたんですか? その資金の面とか……。
塩沼 手持ちの資金はほとんどありませんでしたから、自分で設計して、自分で材料を仕入れてと、我ながらまるで工務店のように働きました。何でも自分でやるしかない状況だったので。
石川 修行の後、体はボロボロだったでしょうに、それをやれてしまうからすごい。
塩沼 実はこれも修験道の考え方なんです。「修験」とは実習、実験。つまり、自らやってみて覚えることを意味しています。時には痛い目に遭いながら、毎日を精いっぱい生きていくことで、人は成長することができるんです。
石川 いわゆる下積みですよね。できるだけ効率よく上にあがりたいと考える人が多い中、塩沼さんは今なお、下積みから始めようという意識を持っている。
塩沼 その通りです。下積みの基本とは、トライして失敗して、それを糧に上手になることの繰り返しです。失敗して、上手になる。自らが「修」して得た「験」で、「しるし」を得る。これが日本の修験道です。
 たとえば私は、もともと人前でお話ししたりメディアに出たりするのは苦手でした。でも、苦手なりにどうにか続けたことで、たとえテレビカメラが目の前に5~6台並ぼうが、何千人のお客さんが集まろうが、普段と変わりなく話せるようになったんです。
石川 そのストレスのある経験が修行になる、と。
塩沼 プレッシャーやストレスは自分を成長させるために不可欠なものですから。ところが、環境に慣れると人はプレッシャーを感じなくなっていきます。私自身も同様で、これではいけないと、異国へ飛び出そうと考えたわけです。

情報社会でものを言うのは個々の実体験

石川 塩沼さんは常に、自らの体験と深く向き合いながら学んでいるようにお見受けします。千日回峰行の修行が終わられた1000日目の下りってどんなお気持ちだったんですか。やっと苦しい修行が終わるわけじゃないですか。
塩沼 それが、特別な感情は全然ないんですよ。
石川 ないんですか?
塩沼 うれしくない。その日の夜、ちっともうれしくなかったです。いつものように行って、いつものように帰ってきただけ。
 そもそも私自身は千日回峰行という体験は評価していないんですよ。自己評価はものすごく低いです。
石川 え、それはなぜですか?
塩沼 修行というのは、あくまでプロセスなので。私の師匠の教えがよかったんでしょうね。「行を終えて、行を捨てよ」と常々言っていました。これはつまり、行を自慢するな、過去の栄光に囚われるなっていうことなんですよね。だから、「これだけのことをやりました」と言った瞬間、そこに囚われてしまっていることになる。
 大行満、大阿闍梨っていう称号をもらうんですが、それが社会的に何も価値のないものだよって、お師匠さんが教えてくれましたから。
石川 千日回峰行という体験はもはや過去のものなんですね。
塩沼 正直に言えば、今更お話ししたくないぐらいですよ(笑)。ただ、みなさんは聞きたがるし、みなさんの気付きになるという意味では大事なことなのでお話ししますけれども。
石川 では成功体験と言いますか、体験を通しての実感みたいなものはないんですか。
塩沼 あるとすれば、1000回やって、1日も手を抜いていなかったことですかね。この日、ちょっとみんなにお話しできないなっていう日はないんですよね。それが今、やっていて良かったなという自信につながってきますよね。もし手を抜いた記憶があったら、きっと人前でも話せないでしょうね。
石川 自分はよく知っているわけですものね。
塩沼 そうです。自分の脳と心は知っているので。でも、それだけですよ、修行でよかったことは。自分が手を抜かずにやったという記憶だけ。
石川 やっている最中は、何を励みにしていたんでしょうか。
塩沼 千日回峰行にしても四無行にしても、私は高校生の頃からそれを人生のゴールとするのではなく、その先の目標を叶えるための体験と考えるようにしていました。
石川 その目標というのは?
塩沼 日本を出て、他の国、他の宗教の人と話しても通用するようなお坊さんになることです。その目標を実現したいから、何度も何度も追い込まれて死にそうになりながらも、「ここで倒れるようでは、世界行きの切符がもらえないぞ」と自分を叱咤して乗り越えたんです。
石川 塩沼さんのアメリカ講演が大盛況なのを見て、あらためてユニークな「実体験」というのはグローバルで通用するのだなと実感させられました。凄まじい体験を実際に成し遂げた人物が目の前にいるとなれば、ぜひ話を聞きたいと誰もが思うんですよね。むしろ、情報があふれかえっているこの時代だからこそ、実体験こそが物を言うのだと感じます。
 ちょっと前まで、僕の職業は考えることが仕事だと思っていましたが、塩沼さんと出会ってからは、頭の中だけであれこれやっている場合じゃないなと、大きく意識が変わりましたから。
塩沼 ええ、これからの時代はいっそう体験が大切ですよ。それは間違いありません。

一人の時ほど自らの「こころ」と向き合う

石川 このシリーズのテーマでもあるのですが、「よい人生=Good Life」を送るためには、こころ、からだ、つながりの面で、充実していることが重要だと考えています。
「こころ」の持ちようについて、塩沼さんが以前、「実は一人でいる時が一番シャキッとしている」とおっしゃっていたのをすごくよく覚えていて。普段はこれだけ気さくな塩沼さんが、お一人のときには、非常に凛とされているというのが、とても大事なことなのではないかと。
塩沼 そうですね。家ではテレビを見る時も必ず正座をしていますし、本を読む時はきちんと机に向かうよう心掛けています。
 人間というのは、裏でやっていることもすべて見た目や振る舞いに表れるものです。たとえば講演で何かを話す際も、舞台の袖から出てきて中央に立って話し始めるまでの僅かな間に、お客さんは品定めを終えています。どれだけいい話をしても、そこにはどうしても隠しきれないものがある。
石川 なるほど、そうかもしれませんね。
塩沼 ご一緒してくださるみなさんと何時間お話していても、たとえばそれが明日の朝までになったとしても、決して崩れない、乱れないという芯は常に保っています。そこには大阿闍梨という位をもらった者として、大きな責任があるわけですから、表も裏も一体のものとして整えておかなければなりません。
石川 そこですよね。今日、護摩行を拝見しましたが、いまお話ししてくださっている塩沼さんとは別人のような雰囲気を纏っている。その凛とした姿勢から、ひと目で「あ、この人はやはり本物なんだな」というのが伝わってくる気がしまして。
 他にも大事にされていること、ありますでしょうか。
塩沼 そうですね。人間関係に関して言えば、相手に負担を掛けないことは徹底しているつもりです。参拝に来られた方と話す時に、むやみに相手のことを聞かないようにしているのもその1つ。これは決して相手に興味がないのではなく、心配りや気遣いをして、適度な距離感を守っているということです。
石川 実際、僕も今まで何度かご一緒させてもらっても、仕事内容について聞かれたことはありませんでしたね。
塩沼 日本人はどうしても、「仕事は何をされているんですか」「お住まいはどちらですか」と根掘り葉掘り聞くことを会話の糸口にしてしまいがちです。しかし、相手との距離が縮まる前にそれをやると、知らず知らずのうちに不快な思いをさせてしまっているかもしれません。
石川 結局、職業や出身地、血液型なんて、知識というか単なる情報ですものね。そんなものを一生懸命集めるよりも、その瞬間の体験を大事にしようというスタンスが、人付き合いにも表れているように思います。
塩沼 その場の空気を変な方向に乱さないということは、常に意識しています。
石川 メールでも何でも、常にユーモアとセットで返事をくれる印象があります。これも「こころ」や「つながり」を大切にする工夫なんでしょうか。
塩沼 笑いもその場の空気をよくしますよね。ユーモアは大切にしています。

スイッチを切り替えるための自分との駆け引き

石川 Good Lifeを送るための戦略において、「重心」のようなもののシフトがポイントだと思っているのですが、塩沼さんは何事においてもスイッチの切り替えが早いですよね。日常生活においてはもちろん、アメリカに行くと決めた時の思い切りなどを見ていても。
塩沼 そうですね。自分でも次の行動への切り替えは早いほうだと思います。
石川 たとえばコーヒーみたいに、何かスイッチの切り替えに利用しているものはありますか?
塩沼 コーヒーは好きなので、よく飲んでますよ。護摩の後にも、いつもコーヒーを飲んでいます。
石川 以前、夏にこの慈眼寺にお邪魔したとき、護摩のあとにみんなでアイスコーヒーを飲んだことを思い出します。ああいう瞬間に、いつもの朗らかな塩沼さんが戻ってくる印象なんですよ。
塩沼 はっきりとスイッチを意識しているわけではないのですが、スポーツ選手のゾーンに近いかもしれませんね。朝のお勤めや講演、護摩など、それぞれスイッチの切り替えには1秒もかかりません。意識の中にあるのは、「今日より明日、明日より明後日」という言葉です。
石川 それはどういう意味ですか?
塩沼 前回のステージよりも、今回のステージをより良いものに、ということですね。常に最高を求めて、階段のように上がっていこう、と。そのためには一切の妥協を許さないという、侍のような心境になります。
 まだ自分が体験していないものに挑戦して、少しずつ上達していく実感を得たい。千日回峰行にしても、手探りの状態で進みながら、徐々に歩き方のコツが身についていく実感がありました。
石川 ただ、護摩祈祷にしても、実際に行う動作は常に決まっていますよね。常に前回より高みを目指すというのは、意外と難しいことなのでは?
塩沼 その通りですが、人間の生活はすべて、心と行動と言葉の3つが伴って、初めていいバランスが作られます。護摩に向かうにしても、日によって気温も体調も参拝者もすべて条件が異なりますし、実際にスイッチを入れてみなければその日どういう出来になるか、自分でもわかりません。でも、そうした駆け引きがおもしろくもあります。
石川 自分との駆け引き。これもおもしろい視点ですね。
塩沼 千日回峰行では毎日お腹に5本の紐を結んでいくのですが、その結び方がきつ過ぎると、上半身と下半身の血の巡りが悪くなるし、逆にゆる過ぎると、丹田に力が入らなくて姿勢が悪くなる。おまけに正解はその日の気候や体調によっても変わりますから、ことさら慎重に結ばなければなりません。
石川 ただでさえ荒行なのに、今ひとつ噛み合わない状態のまま歩き出すと、すべて自分に跳ね返ってきてしまうんですね。
塩沼 そうです。日によっては自分と大自然の気みたいなものが合わないこともありますから、そんな時はいっそ道に座り込んで座禅を始めるんです。そこで感覚的な波を探して、「よし、この波だ」と感じたところでぱっと立ち上がって歩き始めると、ようやく噛み合ったりすることがある。
石川 がむしゃらに強行すればいいというものではない、と。
塩沼 何事もうまくいかないなと感じる時は、肩肘張って無理やり進むのではなく、いったん止まって、流れを見る余裕を持つとよいと思います。これが駆け引きです。
石川 なるほど。心と体を理想的につなげてGood Lifeを目指すために、欠かせない心得となりそうです。今日は貴重なお話ありがとうございました。
(編集:中島洋一 構成:友清哲 撮影:吉田和生 デザイン:國弘朋佳)
【図解】「人生100年時代」のGood Life戦略
予防医学者の石川善樹さんが「人生100年時代のGood Life戦略」についてじっくり語ったこの連載のプロローグとなるインタビューも併せてお楽しみください。