スタートアップ倒産、CEOから届いた緊急メール

オンラインマーケターのミーガン・マン(32)にとって、ブラジル南部の美しい町フロリアノポリスでの滞在は波乱含みのスタートとなった。
マンは4月末に10数人の同行者とともにアルゼンチンのブエノスアイレスから飛行機でこの町に到着したばかりだった。
彼らはいずれも「ウィー・ローム」という、旅行代理店とウィーワークのようなコワーキングスペース運営会社を掛け合わせた業態の新興企業の顧客かそのスタッフだった(非常に紛らわしいがウィーワークとは無関係だ)。
ウィー・ロームの「商品」は、リモートワークをしながら1カ月ごとに別の国に滞在する全12カ月の「デジタルノマド」向けツアーだった。利用者は1カ月2000ドルの料金と数千ドルのデポジットを支払い、滞在するアパートやオフィス、移動の際の航空便の手配をしてもらうのだ。
マンの同行者の中にはツアーの途中から参加した人や途中で抜ける予定の人もいたが、5つ目の滞在先であるフロリアノポリスでの最初の夜、ベッドに入る時までは、マンは全12カ月の旅を終わりまで続けるつもりでいた。
ところが翌朝目覚めると、マンの元には「CEOからの緊急メッセージ」なる電子メールが届いていた。ウィー・ロームのネーサン・イェーツ最高経営責任者(CEO)からの事情説明のメールだった。
「会員の皆さん」とイェーツは書いた。「私たちの夢であり家族であるこの会社をこれ以上継続できなくなったことをお知らせするのは断腸の思いです。本当に言葉もありません」
いくつかの訴訟に巻き込まれるうちにウィー・ロームの資金繰りは悪化し、「ものごとを迅速に巻き戻す」ことになったというのだ(イェーツに本記事へのコメントを求めたが拒否された)。

滞在先の手配も帰国便の手配もなし

マンら利用者にとって、それはフロリアノポリスでの今後数週間の滞在と、手配済の次の目的地(コロンビアのメデジン)までの航空券はとりあえず保証されているということだった。
だがイェーツは、メデジンでの宿泊先やその先の滞在地について何の手配も行わず、利用者たちの最終的な米国への帰国方法もはっきりさせないままで会社をたたもうとしていた。
「見捨てられた気分だった」とマンは言う。「よその国に置き去りにされて『どこかよその場所に行く航空券はあるけれど、帰国する航空券ではない。次の目的地に行くためのものだが、そこに行っても何も用意されていない』と言われたわけだ」
米国で設立される新興企業は年に650万社に上るが、その大半は失敗に終わる運命にある。推計の数値に幅はあるが、50~90%は倒産すると言われている。
利用者にとっての影響は、アプリでテイクアウトの注文をするつもりがある日突然、メニューが表示されなくなるとか、ITソフトウエアの購入先を変えなければならなくなったりするといった程度で済むこともある。
だがウィー・ロームは、企業の死がもっと悲惨な結果をもたらすケースもあることを示す好例だ。金銭的な損害はもちろん、利用者や従業員が外国に取り残されたり、1年間の生活の計画を立て直すことを余儀なくされることもあるのだ。
当然ながら倒産した企業に大した金は残っておらず、利用者への返金はたいてい、いちばん後回しだ。ウィー・ロームの利用者の推計では、同社の倒産時に利用者が被った損害額は合わせて10万ドル以上だという。
イェーツ(インスタグラムのプロフィールでは自称『アドベンチャー・キャピタリスト』)は2016年にショーン・ハーベイとともにウィー・ロームを創業した。
「月2000ドルの費用で働きながらタイやインドネシア、オーストラリアやクロアチアに暮らせたらどうですか? 新しいタイプの職業生活を切り開いてみてはどうですか?」と夢を売ったわけだ。
同社の宣伝ビデオでは若い女性が「ウィー・ロームの旅を続けたかった。人生において何か物足りないと感じ、それが何か分からなかったからだ」と語っていた。

「あんなにわくわくしたことはなかったのに」

ウィー・ロームはイェーツにとって初の起業だった。それまで彼はニューヨークで企業弁護士の仕事をしていた。リンクトインのプロフィールによれば、共同創業者のハーベイはニューヨークのイェルプの営業部隊にいたらしい。
ブルームバーグ・ビジネスウィークが入手した、イェーツが利用者に送ったメールによれば、2人はベンチャーキャピタリストからの出資は受けなかった。資金は自分たちの金とローンだったらしい。元スタッフによれば倒産時の従業員は10数人。4つのツアーを催行していて、添乗員を2人ずつ付けていたそうだ。
ウィー・ロームはある種の冒険の旅に利用者を誘った。
利用者には離婚や恋人との別離を経験したばかりの人もいれば、それとは別の心の傷から立ち直ろうとしている人たちもいた。コピーライターもいれば小売関係者も、オンライン英語講師もいれば、映画の予告編の編集者もいたし、サイバーセキュリティーのコンサルタントもいた。
ウィー・ロームはそんな彼らのために、冒険暮らしを容易にするための「補助輪」を供給するはずだった。行き先にインターネット接続、毎月2~3回の外出イベント、それに旅の仲間たち──。
「インスタグラムやソーシャルメディアへの投稿自体、若くて特権的で見た目のいい人たちが楽しい時間を過ごしているとか、ナポリで笑いながらノートパソコンに向かっているとか、桟橋の先端でノートパソコンを開いているとかいったものばかりだった」
そう語るのは、雑誌のアートディレクターを務めるトッド・ワインバーガー(47)。ウィー・ロームが倒産した時はブエノスアイレスに滞在していた。「友達に向けては笑いのネタにしたけれど、まだ信じる気持ちがあった」と彼は言う。
イェーツはリンクトインのプロフィールで、ウィー・ロームの最初の年の売上は200万ドルだったと述べている。
ウィー・ロームが生まれた時、マンはちょうどリモートワークをしながら旅をするすべを探していた。自分自身でクロアチアまで旅してみた後で、マンは入会を決意。1月2日にウィー・ロームの利用者としてバリ島に飛んだ。空港ではスタッフが出迎えてくれ、連れて行かれたアパートには旅の仲間となる人々が待っていた。
「あんなにわくわくしたことはこれまでの人生でもほとんどなかった。丸1年続く新たな体験の旅に踏み出したのだから」とマンは言う。1月は怒濤の夜間の仕事に追われつつも、初めての風景や珍しい食べ物に出会えた月だった。旅の仲間はすぐに家族同様の存在となった。
※ 続きは明日掲載予定です。
原文はこちら(英語)。
(執筆:Ellen Huet記者、翻訳:村井裕美、写真:mikkelwilliam/iStock)
©2018 Bloomberg L.P
This article was translated and edited by NewsPicks in conjunction with IBM.