「普通」がないとしても幻想ではなくリアルに「普通でない」マイノリティを排除しようとする人が一方にいて、「普通」でないことを畏れる人たちがエラーのある「普通」を作ろうとする。 「普通」などないが「普通」もまた作られる人間の社会性でもある。
どんな人にも思うようにならないことやタイミングがある。それこそ何で自分が、と思うこともあるだろう。 まあ、いいか、そう思うしかない。
普通かどうかは、比較対象がないと意識しませんからね。 普通に囚われ過ぎると疲れますな。
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