「すばやく行動し、破壊せよ」

「すばやく行動し、破壊せよ」──フェイスブックがモットーとするこのフレーズは、シリコンバレーの流儀を象徴している。
さて、少し離れたサンフランシスコに拠点をもつテック業界のインキュベーターは、シリコンバレーにひけをとらないスピードで動くことができるのだろうか。インディバイオは3年前に「できる」という可能性に賭けた。
同社のオフィスにはシリコンバレー流に挑戦した証がそろっている。インテリアは無機質なインダストリアルシック、ブルー・ボトル・コーヒーの店がすぐ近くにあり、受付にはワークスペース「レボリューション」のプレートが飾られている。
近所にはツイッターとウーバーの本社もあり、その上空には新たにサンフランシスコのスカイラインに加わったセールスフォースタワーの巨大な姿がそびえたつ。
分子の操作はコードの操作ほど単純ではないが、最近の研究方法の進歩によりかなり簡単になった。
インディバイオは、生命科学の研究者に開業資金とビジネスに関する助言を提供し、スタートアップを育成したいと考えている。目指すは、老舗インキュベーターのYコンビネーターがエアビーアンドビーなどを生み出した手法だ。
「バイオテクノロジーの進歩は速く、コストも下がった。だから初期段階の研究をこれまで誰もやったことのない、根本的に新しいやり方で試みることができる」と、インフォバイオの創業者でCEOのアルヴィンド・グプタは言う。

バイオが次の注目技術に

インディバイオでは、起業を目指す科学者たちに20万ドルと7000平方フィートの高度先進ラボを4カ月間使用できる権利を提供する。
そうして生まれたベンチャー企業は、研究室で培養される肉や木のいらない木材、スマートミツバチ、無公害の化学物質、さらには癌治療薬といった研究対象をより速く商業化する作業に取り組んでいる。
これまで同社のプログラムの支援を受けたスタートアップは94社。そのなかには、ビル・ゲイツやベンチャーキャピタルのアンドレッセン・ホロウィッツ、食品大手のタイソン・フーズなど大物投資家を獲得した企業もある。
インディバイオ自体もマサチューセッツ工科大学(MIT)の有名な科学者ティム・ルーを非常勤役員として迎えた。そして、2019年にニューヨーク市に第2の拠点を作るために州から2500万ドルの資金を調達した。
ここにいたるまでにインディバイオは、少なくともシリコンバレーが次に注目すべき市場はバイオ技術にあることを証明した。
バイオ技術専門のアクセラレーターになるというアイデアを友人や恩師に初めて披露したときは、ほとんどが「まともな考えじゃない」という反応だったとグプタは言う。

優秀な科学者に選択肢を提供

44歳になるグプタは今も細身で、髪をオールバックになでつけ、派手な柄のボタンダウンシャツを好んで着ている。彼は90年代にカリフォルニア大学サンタバーバラ校で分子生物学を学んだ。
卒業後はパロアルトのデザインコンサルタント会社IDEOに勤めたが、2013年に退社し、ベンチャーキャピタルのSOSV社で新たなキャリアをスタートさせた。そして思いついたのが、デザインやスタートアップに関する知識と生物学への関心を結びつけることだった。
サンフランシスコと湾をはさんで対岸にあるバークレーには、バイオ研究者のライアン・ベセンコートと化学者のロン・シゲタ博士がいた。シゲタはスタンフォード大学、ハーバード大学、プリンストン大学で学術的な研鑽を積んだ後、格安のインキュベータースペースを運営していた。
彼らは新しいバイオ技術によって、科学的なコンセプトを商品にするまでの過程が以前より簡単に、安価になったことを確信していた。
この3人が手を組み、SOSVから資金提供を受け、2015年春にインディバイオが支援する最初のプログラムが始まった。80人ほどの候補者の大半は「むちゃくちゃ変わった連中」だったとグプタは言う。そのうち12人が支援対象となった。
「博士号取得者は学者になるか大企業で働くしかなかったが、このプログラムで別の選択肢ができた」と、MITのルーは言う。彼は自分の教え子数人がインディバイオから資金提供を受けることになったため、みずからアドバイザーとなった。「この選択肢は、以前は存在しなかった」

ニッチだったバイオ分野の起業

最初のプログラム参加者のうち、生き残ったのは半数だった。そのなかには世界初の動物質を含まない卵白を開発したクララ・フーズや、幹細胞専門だったが後に合成ワインの製造に力を入れて社名を変更したアヴァ・ワイナリーなどがある。
「われわれはひとつの対象、ひとつの製品に集中させようとしている」と、インディバイオの科学ディレクター、ジュン・アクサップは言う。彼女は生物医療科学のスクリプス研究所で化学生物学の博士号を取得している。
インディバイオは支援するスタートアップの株式の8%を受け取る。これまで支援企業の64%が追加資金の調達に成功しており、その総額は1億7400万ドルを超えるという。
その資金の一部はSOSVが提供しているが、他の投資家からの資金も増えている。参加したスタートアップのうち約8%が法的に解散、それ以外に数社が活動休止状態にある。
昨年、ベンチャーキャピタルの情報サービス会社CBインサイツは、工学と生物学が合体した「合成生物学」を基盤とするスタートアップに最も力を入れている投資会社として、インディバイオをリストに入れた。
「インディバイオは、バイオテクノロジー企業の研究に投資家の注意を惹きつけながら、実験室段階から商業化まで支援することで、ニッチな市場を切り開いた」と、CB インサイツで情報分析を担当するニクヒル・クリシュナンは指摘する。

競合他社も続々と参入

インディバイオの支援企業で最も注目されているのは、メンフィス・ミーツだ。
同社は2016年初め、研究室で培養した初のミートボールを発表した。製品はまだ商品化されていないが、すでに少なくとも2200万ドルを調達している。ビル・ゲイツやリチャード・ブランソンも資金を提供し、1月にはタイソン・フーズ社が投資家に名を連ねた。
「インディバイオはかなり開発が進んだ技術、起業の世界に飛び込むために成長し、飛躍する準備が整った技術を見据えている」と、ベンチャーキャピタルのコスラ・ベンチャーズのパートナーであるヴィジット・サブニスは言う。「私の知る限り、こういう考え方をするアクセラレーターはほかにはいない」
成功は競争をもたらした。今年、Yコンビネーターはバイオインキュベーター専門のYC バイオを立ち上げ、スタートアップの持ち分の20%を取得するかわりに最大100万ドルとラボへのアクセスを提供することにした。
「新しい業界でわれわれが求めているのは、劇的にコストを削減し、サイクル時間を短縮する才能豊かで野心的な創業者だ」と、Yコンビネーターのサム・アルトマンは言う。「いま、そういう人々が姿を現した」
グーグルのライフサイエンス部門であるベリリーも、医療関連インキュベーターを創設した。

険しい商品化までの道のり

一方、グプタはさらに大きな野心を抱き始めている。そろそろ、治療法のように社会的な影響力を持つ可能性のあるアイデアに焦点を当てるべきだと言う。もうすぐ立ち上げるニューヨーク支社では、これまでより多い20社を手がける予定だ。
「7〜10年以内に出口が見えることを期待している」と、グプタは言う。「もう少し時間がかかるかもしれない。でも市場規模1兆ドルものビジネスになるので、そうしたロスは埋め合わせていきたい」
とはいえ、いまだに懐疑的な投資家もいる。
「ソフトウェア会社を立ち上げるなら、3カ月もあれば意志の力だけでかなりのことができる。徹夜でコードを書き続ければ、飛躍的に進歩する」と、インディバイオが支援するスタートアップに投資するフィフティ・イヤーズVC設立パートナーで、以前はYコンビネーターに勤めていたセス・バノンは言う。
「生物学のようなものが相手となれば話は違う。生命の営みを無理に加速させることはできない」
今年9月、インフォバイオの支援企業であるニューエイジ・ミーツは報道陣と投資家を招いて、実験室で培養した肉を試食する会を開いた。会場となったのはサンフランシスコのミッション地区にある醸造所。スピーチと乾杯の後、創業者たちは何カ月にもわたる労働の成果を発表した。
それは、ジェシーという豚の細胞をもとに作られた、春巻きほどの大きさのポークソーセージだった。ブライアン・スピアーズ最高経営責任者(CEO)は「2年後に商品化する準備は整ったと思う」と語った。
だがそのためにはもう少し苦労する必要がありそうだ。近くで試食をしていた女性は、こんな感想を口にした。「パンのような味がするわ」
原文はこちら(英語)。
(執筆:Kristen V Brown記者、翻訳:栗原紀子、写真:©2018 Bloomberg L.P)
©2018 Bloomberg L.P
This article was translated and edited by NewsPicks in conjunction with IBM.