現代人にインストールされた「適切な努力をすべし」という規範意識 - シロクマの屑籠
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注目のコメント
規範というものは、自罰とセットになった、自己制御的な集団管理のよくできた仕組みだ。人間は、罪悪感が強くなると、自らの幸福を放棄するようになっている。その根は本能レベルに達している可能性さえあって、かなり深い。
現代社会が残酷なのは「適切な努力」という文脈において「適切さ」の評価が困難…というよりも、ほぼ不可能なことだ。努力であれば、十分やれる人が多いと思う。ただ、その方向性を定めることに、多くの人間が迷っているように見える。適切って、後から分かる場合もあると思います。
何をもって、適切と言うのかも、疑問です。
人や金や結果がついてくれば、適切だったと言えるのか。
結局「だった」と過去形ですね。
不適切だと思っていた努力でも、何かのエッセンスで、パッと花咲くこともあるでしょうしね。
また、「適切」という言葉に縛られて、動けない場合もあるかもしれません。