安田純平氏への「自己責任論」にも「使命論」にも覚えてしまう違和感
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紛争地での40か月にわたる監禁から解放され帰国した安田純平氏に対して(自称)有識者から「論評」がテレビのワイドショーを中心に騒がしくなっている。
個人的な感覚として、強硬に「自己責任論」を主張する(自称)有識者も、マスコミ関係者を中心とした「ジャーナリストの『社会使命論』」の双方に対して疑問を覚えている。
いずれの側の主張にも、それぞれ「報道を受け取る側の責任」と「ジャーナリズムの責任」に対する「自覚」が欠けていると感じている。
(自称)有識者がジャーナリストに対して、徒に「自己責任」を求める事は人権として認められている「報道の自由」と「真実を知る権利」を、自ら「放棄」して「公正な判断」や「知的好奇心」をつながる「危険な全体主義」だと考えている。
それとともに、ジャーナリストを名乗って「報道の『社会使命』」を強調される勢力に対しては、公正な「報道」を伝えるにあたって「情報の発信者」として負うべき「報道の『社会的責任』」を再確認するべきとも考えている。
世の中が「ネット社会」に進んでいる社会にあって、もはや「情報の発信」はマスメディアの「特権事項」ではなくなり、いかなる人々の「情報の発信」が可能になっている。
現在の社会では「情報発信」と「報道」の在り方が変質している事を認識したうえで、ぜひとも「正確な情報発信」や「適切な論評・批判」といった「報道あるいはジャーナリストの『社会使命』」に対する「自らの考え方」を明示して「論評」する事が、有識者に課せられた「責任」だと主張したい。