“どこでも起業できる時代”の、スタートアップ地域戦略とは

2018/10/24
日本で、世界で、起業を取り巻く環境が変化している。技術革新、経済環境、価値観の変化に伴い、おのずと新しい起業スタイルや、今までは考えられなかった成功事例が出てきている。そんな新しい風が吹く中、この国で、この世界で、起業家は何を成し遂げられるのか。

最前線の投資家や起業家を訪ね、激動のビジネスを掘り下げる連載企画「スタートアップ新時代」。創業期のスタートアップをPowerful Backingするアメリカン・エキスプレスとNewsPicks Brand Designの特別プログラムから記事をお届けします。

スタートアップに“地域性”はあるか

 スタートアップを立ち上げるなら東京へ行け──そんな常識がある。
 確かに、人・モノ・金のあらゆる面で、東京で起業することのメリットは多い。だが、「ロケーションフリーな働き方」が選択できるようになった現在、むしろ“地方で起業する”ことが優位性となるケースも生まれている。
 たとえば、日本一創業のしやすい街をめざし、スタートアップ支援に積極的な福岡市の例を見てみる。
 福岡市は高島宗一郎市長のもと、2014年に「グローバル創業・雇用創出特区」として国家戦略特区に選定された。行政の創業サポート、法人税の軽減・全額免除措置、交通アクセスの良さなどが奏功し、全国でも高い開業率を誇る。
 そんな福岡市のポテンシャルに可能性を感じた既存のIT系企業の支店や子会社の進出も近年いちじるしく、福岡市は名実ともに、スタートアップ都市へ変貌を遂げつつある。
コンパクトシティとして知られる福岡は、「スタートアップ都市」としての存在感を確かにしている
 その福岡市におけるスタートアップの先駆者であり代表格といえるのが、株式会社ヌーラボだ。
 ヌーラボの創業は2004年。「チームのコラボレーションを促進し、仕事が楽しくなるようなツールを生み出す」をコンセプトに、プロジェクト管理ツール「Backlog」、作図共有ツール「Cacoo」、チャットツール「Typetalk」の3つの自社プロダクトを開発。
 特徴的なのが、すべてのプロダクトがグローバル基準で開発されている点だ。実際、ユーザーにはアジア、ヨーロッパなどの海外法人が多数ある。現在は福岡のほかに東京、京都に事務所を置くほか、ニューヨーク、シンガポール、アムステルダムにも子会社を設立している。
 今回は、地方発ベンチャーの代表格として、ヌーラボ代表取締役、橋本正徳氏に起業するエリアの重要性、そしてグローバル展開の戦略について聞いた。

どこで起業するかはますます重要になる

── いまでは“福岡ベンチャーの重鎮”と言われるヌーラボですが、創業は14年前。起業のエリア選定にはどんな理由や戦略があったのでしょうか。
橋本 僕が福岡での起業を決めたのは、単純に「自分の出身地」だからでした。東京と福岡の二択で迷ったうえで、妻と相談し、子育てを考えて福岡での起業を選びました。ビジネス戦略ではなく「家庭の都合」ですね。
 ただ、福岡で起業したことは本当に良かったと思っています。創業した2004年当時の福岡は今のようなスタートアップ先進地ではまったくありませんでしたが、福岡市が少しずつ“スタートアップの街”として存在感を高めていくことが、ヌーラボにとっても成長の追い風になりました。
 やはり、“どこで起業するか”は重要だというのが実感です。
 本当にどこで働いてもいいなら、スタートアップの分布はもっと全国にばらけるはず。でも現状はそうじゃない。スタートアップといえば東京とか福岡とか、特定の街の名前が挙がりますよね。
 実際、エンジニアの人たちに「どこでも働けるとしたらどこで仕事をしたい?」と聞くと、名前が挙がるのはたいていサンフランシスコやシリコンバレーだと聞きます。ロケーションフリーなのに、みんな一カ所に集まりたがる。
橋本正徳(はしもと・まさのり)。1976年生まれ、福岡市出身。高校卒業後に上京し、飲食業や劇団主宰、クラブミュージックなどに携わる。1998年、福岡に戻り、父親の家業である建築業界で働いた後、プログラマーに転身。派遣プログラマーとして働いていたが、「もっと自分たちのソフトウェアを使ってくれる人と対話をしながらものづくりをしたい」と考え、2004年に福岡でヌーラボを設立し、代表取締役に就任。2011年、テクノロジーとクリエイティブの祭典「明星和楽」を立ち上げる。
──なぜでしょうか。
 刺激がほしいからでしょうね。「暮らしやすい」だけじゃ、人は集まりません。この人たちに交じって一緒に仕事をすれば、自分も成長できると思えるエリア。そういう場所に、成長意欲のある人は移動していきます。
 才能が才能を呼ぶ。だから特定のエリアが目立ってくる。どこでも起業できる時代になったからこそ、どこで起業するかというエリアの重要性はますます大きくなっているといえるでしょうね。
 国内の地方都市だと、今後は札幌、神戸、京都あたりもスタートアップの街へと変わっていく可能性があります。スタートアップかいわいの人たちがそれぞれの持ち場で情報発信することで、第二、第三の福岡が生まれる余地はまだあると思いますね。
──いまのベンチャーは創業時に「大きいビジョン」を描くことで、人やお金が集まるという環境にあると思います。ヌーラボ起業のきっかけはなんでしたか。
 当時は資金調達ができるような環境が身の回りにもなくて、“ビジョンで起業する”というムードではありませんでした。
 僕の場合、きっかけは単純に「お金」です。起業前は派遣プログラマーとして働いていたのですが、給与が低かった。子どもも大きくなってきたタイミングだったので、これからもっとお金がかかる、それなら独立するしかない、と考えての起業でした。
──橋本さんは起業前からエンジニアとして有名で、著書も出されていた。いまでこそエンジニアがトップの会社は少なくないですが、当時は珍しかったですよね。
 そうですね。起業前から個人で(プログラミング言語の)Javaの勉強会を主催していたのですが、地元の人だけでなく東京の人がわざわざ飛行機でやってくるようになり、その縁で東京から仕事の依頼もありました。オープンソースの公開をすると、海外からのダウンロードがあったり、問い合わせメールが来たりする状況でした。
 なんとなく、「福岡で目立てば相手のほうから来てくれる」、東京や、うまくやれば海外から仕事を取れそうだと気づいたんでしょうね。だから福岡での独立を決断できたんだと思います。

資金調達は「潰れそうな会社がするもの」だった

──創業直後はどうやって経営を回していたんでしょうか。
 受託開発を中心にやっていました。創業が2004年で、最初の自社プロダクトであるBacklogの商用版が出たのが2006年。受託を完全にやめたのが2013年なので、受託と自社プロダクトの両方をやらないと経営が回らない状態が長く続きました。
 ただ、安定して受託案件を受注できるようになったおかげで、Backlogの開発に注力できましたし、案件ごとにBacklogでプロジェクト管理をしていたから、ユーザー視点でBacklogの改善もできた。そのメリットは大きかったと思います。
──最初の5年でもっとも苦労したことは。
 お金がなかったことです。資金調達もしなかったから、起業直後からキャッシュをひたすら稼がなきゃならなかった。
 短いサイクルでお金を回さなくてはいけないので、当初は短期案件しか受けられませんでした。どうしても長期案件を手がけるときは分割で納品して、月々の支払いをお願いしたり。立ち上げ時の苦労はウェルカムと思っていましたが、金策には悩まされましたね。
──資金調達は考えなかった?
 今のスタートアップならそうしますよね。でも当時、「資金調達は潰れそうな会社がするもの」というのが僕の周りでの常識でしたから、資金調達は考えもしなかった。だから、自己資本と銀行からの借り入れでなんとか回していました。
 ただ、お金がないからこそ出るアイデアもあるんです。お金がなければ、知恵を絞るしかないわけです。そこから新しい発明や発見が生まれる。だから、ハングリーな状態は必ずしも悪いことではないと思っています。
 僕らの頃と違い、今はスタートアップが資金調達しやすい環境になっています。それはいいのですが、半面ハングリーさが弱まるのであれば、モチベーションを相当高く保たないと、会社を成長させ続けていくのは難しいんじゃないかなとも感じますね。

海外展開は「そこにユーザーがいるから」

──今年からはオランダにも拠点を置き、本格的に海外展開を広げていますが、どんな戦略で?
 海外拠点を作った理由は、そこにユーザーがいるからですね。グローバル前提のプロダクトといっても、国や地域によってユーザーのニーズは少しずつ違いますから、なかでも顧客の多いエリアに拠点を置いたんです。
 すでにユーザーがいる状態なので、海外展開は0→1ではなく、1→10、10→100をやりにいっているイメージです。新しいことに挑戦するというステータスではないです。
──そもそも海外展開のきっかけは。
 Backlogをはじめ、僕らのプロダクトはSaaS型のモデルなので、“安く広く”がその特徴です。“広く”で考えると、やっぱり世界で使ってもらうこと。日本で1人から1万円ずつ集めるより、世界で1人から1000円集めたほうがいい、だったら世界でやったほうがいいよねと。
 2009年にβ版を出した作画共有ツールの「Cacoo」が、最初からグローバルに使ってもらうことを意識して作ったプロダクトです。現在、Cacooのユーザーの海外比率は9割近くになっています。図をきれいにわかりやすく描くことはドメスティックの課題でもないし、言語にも左右されない。マーケットを日本に閉じておく理由がないんです。
 海外でまず評価を高めて日本に逆輸入すれば、国内での評価も高まりやすい。そういうことも含めて、海外展開はどんどんやったほうがいいなと判断しました。
──グローバルの競合相手と戦っていくことにちゅうちょはなかったですか。
 それはあまり感じないですね。『三国志』で諸葛孔明が「天下三分の計」を言っていますけど、マーケットに置き換えれば、1つの製品が市場全部を独占することはまずない。上位3つぐらいで市場の大半を占める。国内でも国外でも、僕らはその3つのうちの1つに入れたらいいなと思っています。
 「世界で1番」はとてつもなく遠い目標に思えてしまいますが、「3位に入ればいい」と思うといける気がするんです。もちろん3位に入るのも簡単なことではないし、3位に入った後に本当の意味での戦いがはじまるわけですが、僕はそういう気持ちでいますね。

「いい感じに不自由」なほうがいい

──今、メンバーの外国人比率はどれくらいですか。
 日本語を第一言語とするメンバーとそれ以外のメンバーが7:3です。さまざまな国の異なるバックグラウンドを持つ人たちがヌーラボに集まっています。
 今は国内3拠点とニューヨーク、アムステルダムのメンバーが共同してプロダクトの開発をおこなっています。時差があってミーティングひとつするにしても大変ですが、グローバルに使われるプロダクトはグローバルなチームで作るほうがいいものができると考えてやっています。
──多様性がカオスになるリスクはありませんか?
 「仕事を楽しくする」という軸だけはぶれないようにしています。ヌーラボと競合他社の製品の一番の違いは、機能的な差より、仕事を楽しくするためのツールであるかどうかです。
 だからこそ適度なカオス状態を維持して、その環境を楽しみながら解決方法を探すようなやりかたを心がけています。仕事のなかに楽しさをつくり上げるのが大事なんですよ。そのほうがおもしろいアイデアが生まれるし、楽しく働けるんじゃないかと。
 僕、そもそも組織をしっかりとまとめる気がないんですね。きれいにまとまっていると何も生まれない。「適度にぐちゃぐちゃな状態」をきれいにしようと考えるところにアイデアが生まれるきっかけがあると思っています。
 いろんな考えの人たちがいて、いい感じに不自由なほうがいいんじゃないかと。だからつねに課題や困難をかかえていたいんです。
──あえて多様性があるようにしている。
 そういう意味では、多様性のある環境をつくりやすいことが、福岡のエリアとしての特色だと思います。歴史的にも、地方の中では国際性があるほうで、いろんな人が入ってくる。だから多様性への許容度もある。
 多様性のある環境を楽しんで発明・発見のアイデアが生まれる場としてとらえるか、許容せずに不平不満を言っているかでできあがるプロダクトも変わってくると思います。ヌーラボは前者でありたいと思っています。
──ヌーラボの事業ではないですが、橋本さんが発起人になって2011年からスタートした「明星和楽」がまさにそれを体現していますよね。たくさんの人を巻き込んで、新しい文化をつくっている。
 多様なバックグラウンドを持つ人とのリアルなコミュニケーションを通して新しいものを生み出す、というコンセプトで年1回やっています。現在は、実行委員長が代替わりして、他の方が引っ張っていってますが、今年は1泊2日のキャンプ、トークセッションやピッチ、ライブなどのイベントが開催されました。
 最近だと、福岡市がスタートアップ相互支援のMOU(行政機関等が交わす了解覚書)を結んでいる海外の都市からも参加者が来るようになりました。
 明星和楽にしても、ヌーラボにしても、大きくとらえると最終的には僕の学びになるからやっています。
 起業したころと違って、今は世のため人のため、社員のためという気持ちもありますが、若い人から相談されたり、アドバイスした結果についてフィードバックをもらったりするのも楽しいんです。僕にとってもヌーラボにとっても、「楽しいかどうか」が一番大事な価値観なのかもしれません。
(取材・編集:呉琢磨 構成:横山瑠美 撮影:松山隆史)
※11月12日に、ヌーラボ橋本さんが登壇するスペシャルイベントを福岡・天神地区で開催します。詳細は下記記事をご覧ください。