覚醒した大坂なおみの「心・技・体」を支えた2人のコーチ

2018/9/24
テニスの全米オープン女子シングルスで四大大会初優勝を果たした大坂なおみ。
昨日まで東京、立川で行われた東レ・パンパシフィック・オープン(結果は準優勝)でも、連日その試合を見に多くのファンや報道陣が会場に詰めかけるなど、“なおみフィーバー”は留まることを知らない。
この覚醒は約束されたものだったのかー。長年国内外のテニスを取材してきた、ライターの内田暁氏に寄稿してもらった。

ターニングポイントの4回戦

覚醒の時を迎えたかのように頂点に駆け上がる選手には、往々にして「ターニングポイントとなる試合がある」という。
大坂なおみが、USオープン4回戦でアリーナ・サバレンカに勝利した時、コーチのサーシャ・バインは、この一戦こそがターニングポイントになると半ば確信していたようだった。
サバレンカ戦は、2回戦から3回戦にかけて22ゲーム連取の電車道を疾走していた大坂が、この大会で初めて接戦を強いられた試合である。
第1セットを2つのブレークを手にして奪った時は、また大坂の圧巻の勝利が見られるかに思われた。
だが、前哨戦を制した勢いのまま全米4回戦まで駆け上がってきた20歳は、簡単には引き下がらない。
第2セットは、第1セットを反転したかのようにサバレンカがブレークの好機を生かして奪取。
猛暑のなかの熱戦の行方は、ファイナルセットに委ねられた。
両者ともに、勝てば自身初のグランドスラムベスト8が懸かった一戦の最終セットは、選手の緊張が見る者にも伝播(でんぱ)する、息苦しいまでの精神戦となる。
先にチャンスを手にしたのは、相手のダブルフォルトにより、3連続ブレークポイントが転がり込んできた大坂。
だがこの局面で大坂は、消極的とも言える安全策を取り、自ら相手の反撃を引き込んだ。
決定的とも言えるチャンスを逃した大坂だが、それでも勝利への扉をこじ開けるべく、自ら気持ちを奮い立たせる。
サーブでポイントを奪うたびに、シャイな彼女が「カモーン!!!」と大きな声を上げた。
そして迎えたブレークが勝利へと直結する、相手サーブの第10ゲーム――。
またも手にした3連続ブレークポイントだが、ここでも大坂の慎重なプレーは、開き直ったように打ち込む相手の猛攻をしのぐには至らなかった。
だが、このゲーム2度目のデュースの場面で、大坂は相手のセカンドサーブを全力でストレートにたたき込み、「カモーン!」の叫びと共にリターンウイナーを奪う。
(Photo by Tim Clayton/Corbis via Getty Images)
沸き立つ大声援が潮を引くようにすっと消え、スタジアム全体が息をのみ静まりかえる、この試合4度目のマッチポイント――。
サバレンカのセカンドサーブは、サービスラインを割っていく。次の瞬間には、大坂の両の目から涙があふれ出た。
試合の公式記録上では、このマッチポイントの“ダブルフォルト”も、単に「自ら犯したミス」として無機質にカウントされる。
だが当然ながら時に記録は、その実態を正しく示すにはいたらない。
「このダブルフォルトは、ナオミにより引き出されたものだ」
コーチのバインは、そう断言することをためらわない。
「いつ攻め、いつ守るべきかの判断力を習得するのは、テニスにおいて最も重要なことであり、同時に最も困難なことだ」とバインは言った。
「それは、コーチが教えられることではない。相手のストロークが70マイル以下だったら攻めろ……というような指導はありえないからね」と、青年コーチは軽やかに笑う。
選手が自ら考え、悩みながら体得するしかないという、心の天秤(てんびん)の両端で揺れる攻守のバランス――。
その機微を大坂は、このサバレンカ戦の最終局面で見極めたのだと、コーチは見た。
「最初にマッチポイントが3本あった時、彼女は安全策を取って打ち返しチャンスを逃した。すると2度目のデュースの時には、相手のセカンドサーブを全力でたたきポイントを奪った。その結果として、最後はサバレンカがダブルフォルトしたんだ。これは決して、与えられたものではない。彼女が勝ち取ったダブルフォルトなんだ。
ナオミは、自分が攻撃的な姿勢を取れば、相手にプレッシャーが掛かることを知った。それは彼女がテニス選手として……アスリ―トとして、非常にスマートになったことの証左だ。自分がアタックすれば、相手もアタックせざるを得ない。そうしてミスを引き出した」
試合の中でも冷静さを保ち、ミスの理由を分析し、そして次に生かし勝利したのが、この試合の大坂だった。
「そんな彼女を、とても誇りに思う」
何かを確信したかのように、バインは自らの言葉にうなずいた。

「彼女がどのように動くか分かった」

ターニングポイントとなる試合を制し、コーチいわく「最も重要で、最も困難なこと」を体得した大坂の成長は、USオープン決勝戦の対セリーナ・ウィリアムズ戦の大舞台でも、いかんなく発揮された。
「子どもの頃からセリーナの試合をほとんど見てきたから、彼女がどのように動くか分かった」
2度目となるセリーナとの対戦を、後に大坂はそう振り返る。脳裏に焼き付くセリーナの像をネットの向こうの実体と重ねながら、時にじっくり打ち合い、守るべき場面は守り、相手のボールが浅くなると見るや、トリガーを引くように攻撃に転じた。
第2セットの途中でセリーナが見せた、主審の判定に対する激高と精神的崩壊は、女王の自信を打ち砕く大坂の盤石のプレーが引き起こしたものでもある。
加えるならこの日の大坂は、サーブでもセリーナの読みを上回った。時速200kmに迫る大坂のサーブは、彼女が16歳の頃から今と変わらぬ衝撃を放つ。
ただ当時は、スピードはあるが相手にコースを読まれやすく、ポテンシャルを存分に発揮しているとは言いがたかった。
その彼女のサーブが今や、コースや球種にもバリエーションが増え、ここぞという局面で勝敗を左右する決定的な武器と化す。
その事実を象徴したのが、決勝戦のマッチポイント。サーブがセンターに来ると読んだセリーナの逆をつき、大坂が放ったボールは、鋭くコーナーへと刺さる。
必死に伸ばしたセリーナのラケットをはじき、決まったサービスウイナーは、新時代の到来を告げる鐘にふさわしかった。
(Photo by Tim Clayton/Corbis via Getty Images)
セリーナ・ウィリアムズが、大坂にとり幼少期からの憧れの存在なのは、今や有名な話である。
一つの動画をきっかけに尊敬の眼差しを向け、小学3年生の時の自由研究のテーマには、迷わずセリーナを選んだ。
憧れの人の活躍や偉大さを色とりどりのペンでつづると、リポート用紙の空白を「この人みたいになりたい!」の文字で埋めつくす。
姉とボールを打ち合うニューヨークやフロリダのパブリックコートは、セリーナとの対戦のステージに続くと信じて夢を追った。
才能の原石が磨き上げられるその布石は、歩む道のそこそこに、早くから打たれていたのだろう。
大坂は16歳の時、米国カリフォルニア州開催の大会でWTAツアー初出場を果たし、そこで初めてセリーナと会う。
それは大坂が、夢へと近づきつつあることを確信する掛け替えのない日となるが、時を同じくして、もうひとつの貴重な出会いも生まれていた。
大坂の父はこの大会会場で、セリーナのストレングス&コンディショニングトレーナーであるアブドゥル・シラーに声を掛け、以降も連絡を取り合う関係性を築く。
それから4年後……シラーは大坂のチームスタッフに加わり、コーチのサーシャ・バインと共に、新女王育成プロジェクトに乗り出した。
セリーナのヒッティングパートナーを8年務めたバインが、大坂の“心・技”を伸ばした功労者だとすれば、シラーはそれらの根幹たる“体”の強化者だと言える。
大坂なおみの試合を見守るバイン氏(右)とシラー氏(左)(Photo by Elsa/Getty Images)
大坂が“攻守のバランス”を体得しつつあることは先述した通りだが、その礎となるのもまた、向上したフィジカルだからだ。
「以前よりも速く、そして長く走れるという自信ができたから、無理に攻める必要もなくなった」
大坂がそのような言葉を残したのは、今年4月のことだった。
USオープンを制し、世界ランキングも7位に達した大坂。だが当然ながらここはまだ、彼女が目指した最終目的地ではない。
彼女は16歳の頃から、「目指すのは世界1位と、可能な限り多くのグランドスラムを取ること」と公言していた。
それは決して「夢」ではない。彼女が口にすることはいつだって、近い将来に果たすべき「目標」だ。
20歳で手にした、1つ目のグランドスラムタイトル――。
彼女は今、目指す高みへのとば口に立ったばかりだ。
内田暁/ライター
編集プロダクション勤務を経て、2004年にフリーランスのライターに。ロサンゼルス在住時代に、テニスや総合格闘技、アメリカンフットボール等の取材を開始。2008年に帰国後はテニスを中心に取材し、テニス専門誌『スマッシュ』や、『スポーツナビ』『スポルティーバ』等のネット媒体に寄稿。その他、科学情報の取材/執筆も行う。