日本中が沸いた大勝負で露呈した「母性依存という問題」
コメント
注目のコメント
なるほど、母であることとアスリートであることとの間に生じる軋轢があるのだと。ウィリアムズの発言に潜む問題性をわかりやすく指摘されています。
“隠されたジェンダー問題はこの点ではなく、彼女自身が抗議の際に発した、「娘がいるのよ」という発言である。実はここにこそ、「女性差別」という枠組みにおさまらない、より深刻な差別問題がこめられている。
おそらくウィリアムズ自身は、激昂のあまり咄嗟にこの発言をしたのだろうが、子供がいない女性選手や男性選手は当然、同じことは言わないし、仮に同じように抗議する男性選手がいたとしても、「俺には子供がいるのだ」と発言するだろうか。
厳しいことを言うようだが、ここには無意識のうちに、“子供の前で恥をかきたくないから配慮してくれ”“子供に女王の姿をみせたい”という“甘え”がみてとれる。
この種の“母性”への依存は、社会の様々な場面で往々にしてみられるが、多くの場合は、親という役割を最大のアイデンティティにする立場にみられがちであるにもかかわらず、テニス選手として十分な名声を獲得済みであるウィリアムズにも同じ発想があることに驚いた。”
“往年の柔道の女王・谷亮子が、妊娠にあたり、北京五輪を見据えて「ママでも金」と宣言した(2005年)のも、結婚、出産と選手生活を両立させることの困難をふまえ、その壁を乗り越えようとする意欲ゆえであった。
これは当時、多くの女性アスリートにとってのエンパワメントにつながったが、逆にどんな種目であれ、男性選手が「パパでも金」と宣言しても、男性選手への激励になる効果は薄く、共感も得にくいであろう。
ことほどさように、スポーツ界においてジェンダーの非対称性が存在することは厳然たる事実である。”