スマホのボタンでインスリン投与

娘のシドニーが8歳で1型糖尿病と診断されたとき、ケイト・ファーンズワースは夜ぐっすり眠ることを諦めた。
目覚まし時計のセット時間は午前3時。ケイトまたは夫のデイブが起きて、シドニーの指先を刺して血糖値をチェックするためだ。数値が悪ければ、インスリンの量を調整し、15分おきにチェックし続ける。
午前6時。再びアラームが鳴り、次のインスリン投与の時間を知らせる。だが、もうその頃にはケイトは完全に目覚めている。
午後は、シドニーが学校から帰ってくるのを待って、また血糖値を測る。「糖尿病は、処方箋をもらって自分で投薬量を(永遠に)調節しなくてはならない唯一の病気だ」と、ケイトは言う。
そして当事者のシドニーにとっては「いつになったら普通の体に戻れるのか」が最大の悩みだった。
こうしてカナダ・トロント郊外に暮らすファーンズワース家の心身ともにつらい2年が過ぎたとき、ケイトはインターネットで「代替策」を見つけた。インスリンを注入するポンプと血糖値のモニターをリンクさせ、両方をスマートフォンのアプリにつなげるシステムの開発にDIYで取り組んでいた人々のオンラインコミュニティだった。
スマホを持っている人が、患者の血糖値のモニタリングとインスリン量の調節を遠隔操作できるようにする仕組みだ。つまり、シドニーの場合だと、両親がスマホにそのアプリを入れておけば、娘の指先を刺して血を取ったり目覚まし時計が鳴ったりする回数が減る。
さらに2年後、ケイトはそのオンラインコミュニティの「説明書」に従って、娘のために「人工膵(すい)臓」を作ることに成功した。膵臓は血糖値を調整する働きをする臓器だ。これで、ファーンズワース家はついに一息つくことができた。
現在15歳のシドニーは、今もそのDIYシステムのアップデート版を使用している。コミュニティメンバーから譲ってもらったインスリンポンプを使ったため、製造コストはわずか250ドルだった。
「とても満足している」とシドニーは話す。「スマホのボタンをクリックするだけでインスリンを投与できるから」。シドニーが使うそのアプリは、彼女の皮膚の下のセンサーとつながり、血糖値を常時モニタリングしている。
「私たちの糖尿病とのつき合い方が完全に変わった」と、ケイトは言う。

世界で2000人が「DIY膵臓」を使用

20年前、インターネットの夢想家たちは科学イノベーションが徐々にオープンソース化していく未来を描いた。だが現実には、ほとんどのバイオハッカーは「非主流」のままで、皮膚の下にライトを入れるなどファッション的なものにその技術を注いでいった。
だから、シドニーを助けている「人工膵臓」や10代の子供が「レゴ」のブロックで自分のために作った義手などは、珍しい例である。
いくつかの推定によると、世界で最大2000人がDIY膵臓を使っているとされる。大半は、ソーシャルメディアやソースコード共有プラットフォーム「GitHub」を介して自宅で作られたものだ。
バグの修正や装置の修理などのテクニカルサポートは、患者やその親など利用者のコミュニティ内でフェイスブックメッセンジャーやメールを通じて助け合っているという。
この技術がビジネスとして大きく飛躍する潜在性は高い。
アメリカだけでも1型糖尿病患者は約130万人。さらにこの技術は、世界の糖尿病人口4億2200万人の大半を占める2型患者の助けになる可能性も示唆されている。

医療メーカー大手の機器は7000ドル

これまでのところDIY膵臓の深刻な機能不全は報告されていないが、自分(またはわが子)の命を自家製の装置に託すことにリスクが伴うのは明らかだ。
米食品医薬品局(FDA)が、比較的使いやすい自動化されたインスリン投与装置を認可するのは、まだ何年も先とみられる。
「既存の規制をすべて回避しようとしているグループがいる」と医療機器メーカー、メドトロニック」の糖尿病部門を統括するフーマン・ハカミは言う。同社は、83億ドル規模を誇る従来の糖尿病デバイス市場をリードする企業だ。
「わが社のエンジニア数人が週末に作ったものを見たら驚くだろう。だがそれはまだ完成品ではなく試作品だ」
とはいえ今のところ、そうした荒削りな製品が市場で優位に立っている。
アップルと製薬大手イーライリリーは、DIYのエンジニアを雇った。メドトロニックが最近FDAの認可を受けた製品は、ファーンズワース家が利用している機器とほぼ同様の機能を備えているが、価格が7000ドル(保険適用前)もする。
糖尿病患者やその家族らがファーンズワースのようにDIYモデルを選ぶ気持ちも理解できると、FDAで化学・毒物機器を監督するコートニー・ライアスは言う。

ハッキングされたメドトロニック社

DIY膵臓は、メドトロニック社の大失態がなかったら生まれていなかっただろう。
2011年、セキュリティ研究者2人がメドトロニックと糖尿病患者に警鐘を鳴らした。同社のベストセラー製品のインスリンポンプにつながる無線周波数がオープンになっており、ハッキングされる恐れがある、と。
メドトロニックはすぐに対処したが、その製品を回収せず、数千に上るポンプが市場に出回ったままになった。
そこで、サンフランシスコに住む糖尿病のプログラマー、ベン・ウェストはそのポンプをハックすることに決めた。「そんなことはしたくなかったけど、私も追いつめられていた」と、ウェストは言う。
当時、彼が使っていたポンプは、指示されたとおり慎重に取り扱っていても問題が起きやすかった。血糖値が危険なほど高くなり過ぎたり低くなり過ぎたりして、病院に駆け込んだのは一度だけではない。
パーティーの最中に部屋の片隅に行って指を差し、血糖値をチェックするのも嫌だった。ポンプのせいでかゆくなるのも耐えられなかった。
平日の仕事が終わってからの時間、週末、休暇を利用して5年間を費やした結果、ウェストはついにポンプの通信コードの解析に成功した。
その頃、「Nightscout」と自称するDIYグループが、血糖値モニターのデータをスマホや腕時計に送信する方法を見つけ出していた。両親が子どもの血糖値を遠隔からチェックできるようにするためだ。
このNightscoutこそ、ケイト・ファーンズワースが頼りにしたオンラインコミュニティだ。ケイトはその指示に従い、シドニーの血糖値モニターを無線でつなげるようにし、スマートウオッチ「Pebble」のディスプレイに表示されるよう、自らコーディングも行った。
こうしてケイトはシドニーが学校に行っている間も彼女の血糖値をリアルタイムで確認することができるようになった。数値が悪ければ、シドニーにテキストメッセージを送る。一方のシドニーも、クラスで注目を集めることなしに血糖値をチェックできるようになった。

プログラミングの知識がなくても

2014年6月、ウェストはシカゴに住むデーナ・ルイスとスコット・リーブランドのカップルに会った。2人は、インスリンの投与量を示すアルゴリズムを書いていた。
彼らにとって次のステップは、ソフトウェアを使ってインスリンポンプを自動化することだった。3人は「GitHub」上やリーブランドの勤め先であるツイッターのオフィスでアイデアを交換し合った。
12月、糖尿病を患っているルイスに人工膵臓が装着された。当初は寝ている間だけ使用するつもりだったが、あまりに快適だったため、日中も着け続けることにした。
2015年初め、3人は自分たちの「作品」をネットに投稿した。だがケイト・ファーンズワースのようなプログラミングの知識がない者にしてみたら、それを再現して人工膵臓を作るなんて怖かった。
そんなとき、DIYプログラマーの一人、ネイト・ラックリエフトがiPhone向けのユーザーフレンドリーなバージョン「Loop(ループ)」を作った。そこでケイトはそれを試してみることにした。
すると、また別のDIYエンジニア、ピート・シュワムがハッキングできるメドトロニックの中古ポンプをケイトに譲った。彼女はそれをブルートゥース搭載の小型コンピュータを使い、血糖値モニターとアプリにつなげた。
ミネソタ州在住のシュワムはそのコンピュータを糖尿病の娘ライリーのために設計し、「ライリーリンク」と名づけていた。
2016年、ケイトはそのシステムをシドニー抜きで、インスリン代わりに水を使って試してみることにした。ポンプに水を入れて、チューブの先にはナプキンを置いた。すると、アプリがシドニーの血糖値の増減を示すのに合わせて、チューブから水が噴出した。
「それで仕組みを理解できた」と、ケイトは振り返る。その後2日間、彼女はすべてが適切に機能することを確認し、週末に実際にシドニーの体で試してみた。「何年か振りに、夜1回も目覚めず就寝できた日だった」と、ケイトは言う。

中国やシエラレオネまで、必要な家庭に出荷

ケイトは糖尿病の子どもをもつほかの親たちを助けるために、フェイスブックに「Looped」というグループを作った。現在、メンバー数は4000人を超え、ケイトは1日数時間、DIY膵臓に興味をもつ親たちの質問に答えている。
「子どものことは親が一番よく知っている」と、彼女は言う。「テクノロジーや医療の発達は時に遅れ、私たちが必要としていることをわかっていないことがある」
ループのボランティアたちはこれまでに約2000の「ライリーリンク」を、遠くは中国やシエラレオネまで、必要としている家庭へ出荷した。製造はケンタッキー州のエレキギター部品メーカーが担当している。
2014年4月に5家族から始まったDIYグループ「Nightscout」は今、33カ国に約5万5000人のメンバーを抱えるまでに成長した。
欧州のチームは最近、アンドロイド携帯用のアプリを開発し、広く使われている医薬大手ロシュのポンプのコードを解読した。デベロッパーのミロス・コザクによれば、この7月、そのアプリに約50人が契約したという。
5月終わりの暖かな週末、コザクは欧州中から「DIY愛好家」20人ほどがチェコの首都プラハに集ったイベントを主催した。オンラインで交流していた人たちが初めて直接顔を合わせた機会だった。
最年少はドイツの田舎から参加した15歳のテッベ・ウッベン。自分のために人工膵臓を作った少年だった。イギリス在住のソフトウェアエンジニアの助けを借りたという。

医療機器メーカーもDIYに注目

こうしたDIY膵臓の開発を受けて、白旗を上げた大手メーカーが少なくとも1社ある。ジョンソン・エンド・ジョンソンは昨年、もはや研究開発を進めていくだけの価格を維持できないとして、自社機器のプロジェクトを中断した。
一方、DIY膵臓の登場によって医療機器業界が刺激を受けているともいえるだろう。
メドトロニックは利用者10万人を誇る前出の7000ドルの機器の自動化に励んでいる。同機器は現状、血糖値の目標値を患者ごとにカスタマイズすることができず、小さな子どもへの利用も認められてない(DIYのシステムなら幼児に使っている親もいる)。
糖尿病関連機器を年間20億ドル売り上げるメドトロニックをはじめ、企業側がDIYコミュニティと協力を図る動きもみられる。
たとえば、イーライリリーの人工膵臓プロジェクトを統括するマリー・シラーは、ウェストやルイス、リーブランドなどのハッカーらを会社に招いて、自社デベロッパーたちと交流させている。ウェストはイーライリリーの提携企業デックスコムの仕事をするようになったという。
シラー自身、自分の糖尿病の治療に「Loop」のアプリを使っている。
「いつの日かインスリンを投与している人が皆、ある種のシステムにつながるようになるだろう」と、シラーは言う。「さまざまなシステムから流れてくる情報によって、人々が糖尿病を今日よりもうまく管理できるようにしたい」
シドニーはすでにそれができているようだ。彼女は2年前から、普通の子と同じようにお泊り会に行けるようになった。以前は十分な事前準備が必要だったが、もうそんな心配はない。
ローラーコースターに乗るときも、アドレナリンの放出に合わせてアプリが自動的にインスリンの量を減らし、血糖値の急変を防いでくれる。
シドニーは言う。「もう絶対にあの頃には戻りたくない」
原文はこちら(英語)。
(執筆:Naomi Kresge記者、Michelle Cortez記者、翻訳:中村エマ、写真:©2018 Bloomberg L.P)
©2018 Bloomberg L.P
This article was translated and edited by NewsPicks in conjunction with IBM.