小屋暮らしで“体が悲鳴” 完全な孤独に潜む危険 〈AERA〉
AERA dot. (アエラドット)
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注目のコメント
記事を読んで、孤独がもたらす恐ろしさを覚え、フリードリヒ二世の残酷な実験*が頭に過りました。
人間として物質的・肉体的に十分な状態でも、何かしらの交わり(コミュニケーション)がないと、生きていけない。人は生まれたときから、成人になっても、コミュニケーションを要する存在であると感じます。
*フリードリヒ2世(1194-1250年)の残酷な実験の逸話:
「何も話しかけずに赤ちゃんを育てたら、その子はどのような言葉を話すか」を調べるため、50人の赤ちゃんを親元から引き離して隔離し、ミルク、風呂、排泄等の環境面は整え、乳母や看護婦たちに、「目を合わせる」「話しかける」「笑いかける」のコミュニケーションやスキンシップを一切せずに赤ちゃんの世話をさせた。結果、50人の赤ちゃんは全て亡くなった。あら、この人ちょっと病んでしまってたのね。
恐らく、元々無意識下にあったもしくは追いやってた不安・恐怖が無意識下に押し込めなくなって、顕在意識に出てきちゃったんだろね…。
世俗で生きるのはどうあがいても楽ではない世界なんで、そんなに全部嫌なら出家されてみては?なんだかんだ孤独は、
「俺孤独なんだよー、でも一人も良いもんだぜ。」
って伝えたり聞いてもらえる他者がいて、初めてその蜜を堪能できますしね。
なので、やっぱり人間一人では生きられない。
でも人それぞれ他人との距離感ってあると思うので、
適度に距離を取って、たまに「一人もいいもんだぜ」って聞いてもらえば人間らしいと思います。