「絵の見方がわからない人」が知らない真実
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その通りですね。
書も同じ。
私が経営している書道塾の生徒様にも上手下手以上に、どんな書が好きか嫌いかの軸を持つことが最も大切であることをお伝えしています。
有名な書だから素晴らしいという受け売り以上に
有名であってもなくても自分が好きなものを感じる感性がとても大事であり、そのためにもたくさんの作品を見ることが大切になります。
そして、その根底に流れるのはその方の生きてきた経験や生き様を形作ってきた年月そのものだったりします。「自分が気になった絵をひたすら見る。それに徹すればいい。見方に正しいも間違いも、よい見方も悪い見方もない。」
ここまで言い切ってもらえると、すごく励まされます。
『感性は感動しない」は、多くの発見に満ちているのでたくさんの人に読んでもらいたい。最初の1ページで話は終わっている
-世の中的には違います
違わないですね。いくら記事のために話を繋げなければいけないとは言え。
少なくともそれは芸術の世界ではないよね。美術業界かどうかは知らないけれど。
金銭価値があるもの
美術史的価値あるもの
お勉強知識や薀蓄で問われるのはそんなモンで、それ以外の作品に触れる事の方が余程多い。過去の作品ばかりじゃないですし。作家同士とか顔合わせたらどーすんのよって話。現代抽象作品とかわけわからんですよ。作家同士でも。
好き嫌い趣味に合う合わない興味の有る無しが先ずは入り口。そしてわからなくても否定せずに放置しておけば良いだけ。いつか琴線に触れる事があるかも知れないので。気になったのなら掘り下げも良し。
結局観る人自身の体験をベースにした感想や感じ方答えしかその人は持ち得ないので。
(体験の無い言葉や形容は借り物ですし)
その体験は作家本人とも別なので、作家は、そんな観る人それぞれの感想を「そういうものも有るのだ」と受け止める責任があるだけなんですね。
そんな話よね。
だいたい作る側だってその作品の歴史的背景とか美術史的価値なんて普通考えながら作っていませんから。そうでしょう?後から誰かが付けた付加価値をお勉強したところで、作品そのものを感じた事にはならんのですよ。
好きに観なされ。作家はきっとどんな感想でも受け止めてくれます。それが作り手の責任なので。