新着Pick
74Picks
Pick に失敗しました

人気 Picker
東日本大震災のときも、地震の5日後に三陸鉄道が一部で運行再開したのは大きな希望を与えました。地域のシンボルとして鉄道の果たす役割は非常に大きいです。
広島人にとっては「路面電車」ではありません「ひろでん」。

そして、被爆直後の話ではありませんが、昨今のひろでんを語る上で、欠かせないのが大田哲哉会長(2011年に亡くなられました)。
良くも悪くも、経営面でもビジネス面でも、そして政治の面でも広島をよく知っておられたし関わってこられた。行政の使い方もうまかった。
この記事にある功績のほとんどは、大田さんによるものです。
NP的には「地方の会社で長年トップを務めた人」程度かもしれませんが、もっと多くの方に大田さんのことを知っていただきたい。
広島といえば路面電車のイメージ。原爆投下3日後から運転再開とは知らなかった。廃線危機がありながらもやはり市民に愛されている感じはする。カープと路面電車は特別。
結果的に良かったな…という気がしています。
広島の地形的にデルタ状で、土壌が柔らかく、地下鉄が作れないという話はずっと言われている話です。
地下鉄はもちろん、地下街も同じ規模の他府県に比べて少ないようにも感じます。

だからこそ、大事にされてきた路面電車でもあるのでしょうね。

1945年8月6日8時15分。
通勤中の乗客が路面電車を多く利用していました。
広島市内を走る1つの路面電車は爆心地至近の広島市役所付近を走行中に原爆に遭遇。
強烈な爆風と熱線で線路と75度の角度で脱線、そして炎上しましたが、転覆は免れたそうです。

すし詰め状態の超満員の車内で中央部で立っていた数名を除き、殆どの乗客が車内、若しくは車外に脱出直後に大量に浴びた放射能が原因で亡くなったそうです。
広島を走っていた電車には、丸焦げになった車体もあったと聞いています。

広島市を走り続け、私たちを支え続けてくれている路面電車。
渋滞が起きようが、遅延しようが、ヒロシマにとってかけがえのないものです。

当時を見た車両が、我々に多くのことを教えてくれています。
広島に原爆が投下されてから、73年目を迎えた今日。
核兵器について世界各国が注目している年となっています。

節目の1つとして、改めて一人ひとりが考えるべき時が来ているように感じています。
こういう電車記事には弱いです。個人的には岡山電気軌道鉄道もなかなか魅力的だと思っております。