再生医療が人間の意識に及ぼす影響とは

2018/8/2

「人間って何なのか」という問い

新聞を見ていると、よくiPS細胞の実用化の記事を目にする。つい先日も、京都大学でパーキンソン病での治験を始めるというニュースが飛び込んできた。世界初の試みだ。
2006年にマウスを使ったiPS細胞の製作に初めて成功したと報じられてから、早10年以上が経過した。
京都大学の山中伸弥教授が発見したあの人工多能性幹細胞のことだ。どんな細胞にでもなれる能力を持った、万能な細胞。
その技術は今医療に応用され、再生医療や創薬の分野で大きな役割を果たしつつあるという。つまり、どんな細胞にでもなれるのだから、臓器もつくれるということだ。
もし生殖細胞をつくり出せれば、不妊治療にも使えるだろう。病気にかかった細胞を使ってiPS細胞をつくれば、それを利用して薬の開発も可能になる。
前に、医療におけるテクノロジーについて否定的なことを書いた。病気にもならない、死にもしないとなると、人間らしさを忘れてしまうのではないかと。iPSに関してはもっと根本的な問いが湧き上がってくる。
それは、人間って何なのかという問いだ。
もっと具体的にいうと、人工的に細胞から生命の一部を誕生させることに対する問いである。iPSが実用化段階に入っている今だからこそ、この問いに向き合う必要があるように思えてならない。どんな細胞にでもなれる、人工的な万能細胞──。

万能細胞をつくることは創造神の営みなのか

それはあたかも古代ギリシアの哲学者・プラトンが、『ティマイオス』で描いた創造神・デミウルゴスの営みを想起させる。
いまだ形のない素材を手に取り、物事の範型であるイデアに合わせて創造していく。まるで設計図通りに人間をつくっていくかのように。
しかしそれは神の営みだからなんら問題ない。今や人間がそれをやれるというのだ。生殖細胞をつくり出すというのは、そういうことにほかならないのだから。
(写真:araelf/iStock)
私たち人間はいったいどこから来たのか?
遺伝子は太古の昔から脈々と受け継がれていることは間違いない。それが母親の胎内で育まれ、人間はこの世に生を受ける。
こんなふうにして今後も、太古の昔から受け継がれた遺伝子をさらに子孫へとつないでいくのだろう。でも、そのやり方は少し違ってくる。
母親の胎内で育まれるよりも、実験室や工場で育まれることが多くなっていくのではないだろうか。細胞工場だ。
すでに植物工場は当たり前の風景になりつつある。最初は違和感があったが、母なる大地よりも、母なる工場のほうがいい野菜を育てることができるからだ。
人間もそうなるのだろうか。母の胎内よりも母なる工場のほうがいい子どもを育てることができるという理由で。

万能細胞が及ぼす影響

iPS細胞に限らず、人工的なものは常に人間のあり方に変更を迫る。ましてやiPS細胞は、人間を構成する最小単位としての細胞の話だ。
直接的に私たちの存在を変更してしまうため、人間とは何者なのかという問いを惹起するのだ。
もしイモリのように失われた手足が再生するようになったらどうなるか、もし臓器が複製できるようになったらどうなるか、もし受精卵が人工的に作られるようになったらどうなるか、もし自分自身の身体をそのまま新しいものに取り換えられるようになったらどうなるか。
こうした問いに真剣に向き合わなければならないほど、iPS細胞に関する応用研究は文字通り増殖している。
中でも、哲学者にとって最も気になるのは、iPS細胞が意識に及ぼす影響である。
人間の意識がどこから生じるかははっきりわかっていない。よく脳だというが、脳も身体の他の部位もつながっている。そして同じ細胞からできている。
細胞が一定の量、一定の形式で一塊になると、そこに意識なるものが芽生える。
確実にいえるのはそれだけだ。つまり、意識は「細胞の組み合わせが生み出す奇跡のような存在」なのだ。
とするならば、新たな細胞が接続されることで、それに意識が及ぼす影響、逆にそれが意識に及ぼす影響がどういったものなのか考える必要があるだろう。
もしかしたら人格が変わるかもしれないし、能力が変わるかもしれない。
おそらく神であるデミウルゴスはそんなこと考えもしなかったのだろうが、私たちはそういうわけにはいかない。
なぜなら、人間は神と違って行いに対して責任を取るべき社会的存在だからだ。応用研究の成功が報じられるたび、胸騒ぎがするのは私だけだろうか。
*本連載は毎週木曜日に掲載予定です。
(執筆:小川仁志 編集:奈良岡崇子 バナー写真:ClaudioVentrella/iStock)